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呪遣いの妻 15

 月曜日。
 10時過ぎに出社したおれは、秘書室に顔を出した。ここに来るのは1週間ぶり。元の体で来るのは、1ヶ月ぶりだ。
「おはようございます」
 秘書室のメンバーが一斉に立ち上がって、おれに挨拶をする。1週間前までは、立ち上がって挨拶する立場に貶められていたのだ。やはり、社長として秘書たちに挨拶されるというのは、気分がいい。
 おれは、秘書たちの姿を舐めるように見回した。
「社長、本日のスケジュールです」
 おれの傍らにやってきた副室長から、予定表を受け取る。
 こうやって、秘書からスケジュール表を受け取るのも久しぶりだ。ただ、今日はいつもと様子が違う。これまでおれに予定表を渡してくれていた秘書室長は、電機メーカーに出向中ということで、副室長が代わりに渡してくれた。
 スケジュール表を見ると、会議やら得意先との会合やらが、げんなりするほど入っていた。今日は1日中、人と会うことが仕事みたいなものだ。
 おれは、「わかった」と言って、社長室へと通じる扉を開けた。
 社長室には、おれが仕事をするための大きな机と、秘書用の小さな机、それに来客用の応接セットがある。レイアウトは、1週間前とも、1ヶ月前とも変わらない。機能性を重視した造りで、装飾品の類は何も置いてない。だが、おれは、久しぶりに我が家に戻ってきたような気がしていた。これまでも、毎日のようにこの部屋には来ていたのだが、「秘書」の立場では気を遣わざるを得ない。ようやく、「社長」として何の気兼ねなくこの部屋を使えるようになった。
 おれは、鞄と上着を応接セットに放り投げて、社長席にどっかりと腰を下ろした。おれの体に合わせて作らせた椅子は、座り心地も最高だ。先週までよりも狭く見える部屋には違和感を覚えたが、社長席から見える景色は、かつてのままだった。
 しばらく、社長席の座り心地を味わっていたおれは、立ち上がると、更に奥の「居間」に入った。
 おれは、「居間」にあるイタリア製の椅子に座った。こちらは、ゆったりとしていて、くつろげるような造りになっている。少し考えると、内線で、秘書室にいる中で一番若い秘書を呼び出した。
「失礼します」
 しばらくすると、秘書がコーヒーを持ってきた。
 彼女は身長が173センチある。女性としてはかなりの長身で、先週までのおれに取っては、見上げるような大女だった。だが、今のおれは183あるので、ちょうどいい身長差だ。レディーススーツ姿だが、スカートは思い切り短くしてある。秘書のスカートはミニ、というのがおれの会社の不文律だ。自分で穿くのは恥ずかしかったが、こうして鑑賞するには、やはりミニの方がいい。いや、おれだって、彼女くらいスタイルがよかったら、恥ずかしいというより誇らしいと思っていたかもしれない。おれも、こんなナイスバディだったらよかったのに、と秘書の見事なスタイルを見て、そう思った。
「どうぞ」
 秘書がそう言って、おれの前に恭しくコーヒーを置く。短いスカートから伸びる長い脚が、艶かしい。服の上からでも、ブラウスをはちきれんばかりに盛り上げている胸が見て取れる。一体、何を食べたらこんなに大きくなるのだろう。まったく、羨ましい胸だ。
 コーヒーを置いた秘書は、立ち上がって髪を払うと、おれの前に立ち、着ている服を脱ぎ出した。
 秘書は、飛び切りの笑顔をおれに向けながら服を脱いでいく。おれが小娘の体にいたときには見せなかったような男に媚びた笑顔だ。まさか、目の前に座っている男の正体が、先週までペットのようにかわいがっていた小柄な後輩の秘書だとは思ってもいないだろう。
 上着を脱ぎ、ブラウスの中からピンクのブラジャーに包まれた大きな胸が姿を現した。短いスカートがすとんと床に落ち、ブラとお揃いのショーツが見えた。この下着には見憶えがある。以前、おれと一緒に買い物に行ったときに買ったものだ。やがて、下着もすべて脱ぎ捨てた秘書は、笑顔を残して、隣接するバスルームに消えた。
 おれは、ゆっくりとコーヒーを飲み干す。この味わいも久しぶりだ。おれの好きな豆を専門店で焙煎したものだが、小娘の体では、コーヒーなんて苦くて飲めなかった。
 頃合を見て、おれも、服を脱ぎ始めた。おれの股間は会社に来たときから勃起していた。朝、起き抜けに妻を抱いてきたというのに、この調子だ。おととい、元の体に戻ってから、男の体にも少しずつ慣れてきたが、この股間の異物だけは、どうしても自分のものであるという気にはなれない。よくもこれまで35年間も、こんなものと付き合ってきたものだと思う。もっとも、以前には、こんな四六時中勃起しているならず者ではなかったのだが。
 おれは、全裸になって「居間」の奥にある「寝室」に向かった。
 やがて、秘書がバスルームから出てきた。
 おれは、秘書と激しい口づけを交わし、そのままベッドに倒れこんだ。
 おれの愛撫に、彼女は嬌声をあげ続けた。
 おれが彼女を貫くと、彼女は鋭い声をあげた。
 おれと彼女は、ベッドの上で情熱を燃やし尽くした。
 事が終わると、秘書は服を着て、何もなかったように秘書室へと戻っていった。
 「寝室」を出るときの一瞬――ほんの一瞬だったが、彼女が振り返り、ベッドに座っていたおれと目が合った。彼女はそれに気付いたかどうかわからなかったが、おれは、彼女の目に、不満の色が映っていたことを見逃さなかった。


(何だったんだ、あの目は?)
 答えはすぐに浮かんだ。
 彼女は、おれとのセックスが不満だったのだ。先週までの小娘の「おれ」とのときほど、感じていなかったのだ。そう考えてみると、おれの愛撫に対して、彼女の嬌声は、ワンテンポ遅れていたような気がする。
 おれは、小娘の姿で新米秘書の「歓迎会」に出たときの彼女たちの言葉を思い起こしていた。
「秘書の仕事は抱かれるの半分。感じた振りをするのが半分」
 今のがそうだったのだろうか?
 きっと、彼女は、今日もおれが彼女を感じさせてくれると思って、心ときめかせておれの元にやってきたに違いない。それが、期待はずれだったのだ。それで、「感じた振り」をするタイミングが一瞬、遅れてしまったのだ。
 さっき出て行った彼女が、秘書室でどんな話をしているか、簡単に想像がつく。
「今日の社長、どうしちゃったんだろう。やたら下手だったよ」
「疲れてたんじゃないの?」
「あっちの方は元気だったから。何ていうか、元に戻っちゃった感じ。久しぶりに感じた振りしなきゃならなかったもん」
「ええっ、そうなの? 最近うまくなって、抱かれるの楽しみだったのになあ。ちょっとショック」
「取りあえず、今日は忙しいから、そんな暇ないけどね」
「でも、今、3人しかいないから、毎日のように回ってくるよ。さすがにそれは勘弁して欲しいわ」
「それはつらいなあ」
「仕事はみんなつらいものよ」
 おれも、先週まではあの中にいたのだから、こんな会話が容易に想像できる。
 おれは、「寝室」のベッドの上でひとり落ち込んだが、社長のおれには、そんな暇もない。すぐに副室長から内線電話がかかってきた。
「社長、お時間です。先方の社長と専務がお見えになっています」
「あ、ああ。わかった。すぐに行く」
 この後は、傘下の小さな部品メーカーの社長との会合が入っていた。傘下といっても、おれの父親の代には、向こうからこちらへ仕事を回してくれていたという会社だ。今ではすっかり立場が逆転してしまっているが、向こうの社長は、おれが産まれたときから知っているという間柄だし、実際、昔は世話にもなっているので、仕事の話はやりにくい。
「用件はなんだ?」
 応接室に向かう途中で、副室長に尋ねた。
「恐らく、部品単価の引き上げ交渉だと思われます」
 おれは、ため息をつく。復帰早々、面倒な仕事だ。他の部品メーカーだったら、そんな交渉の余地などないのだが、この会社は、おれの死んだ親父との個人的な伝手を頼りに交渉してくるので、やりづらい。
 会合は、予想通り価格交渉だった。当然、おれは単価の引き上げの話など突っぱねたのだが、向こうは親父との昔話を持ち出してきたりして、なかなか引き下がらない。理屈よりも、情に訴えようというやり方だ。しまいには、泣き落としにかかってくるので、嫌気がさしたおれは、今回限りということで、部品単価の引き上げを認めてやった。どうせ小さな部品メーカーなので、大した金額ではなかったが、向こうは、顔を床にこすり付けんばかりにして礼を言って帰っていった。
「社長、あのようなことをお認めになられましては、困ります」
 会合を終えて、社長室に戻る途中で副室長がそう言った。
「なんでだ? あの程度の金額、どうということはないだろう。親父の頃から世話になっていた会社だ。無碍には断れないだろうが」
 実際、こういうことは、たびたびあったことだ。
「ですが、先週のこともありますので、会社によって対応を変えるというのは、あまりよろしくないかと」
「先週のこと?」
 おれが首を捻ると、副室長が「木曜日のことです」と言って、別の会社の名前を挙げた。さっきの会社と同様、親父の頃からの付き合いのある会社だ。
「お忘れですか? 昔話を蒸し返した先方に対して、社長が『先代のことなど今更言われても困る』と突っぱねたではありませんか。『今後は、過去のことには一切とらわれず、未来のことだけを考えて取引する』と宣言なさったばかりだというのに、今日のような態度では、他の会社に対しても示しがつきません」
 そう言えば、昨日の小娘からの引継ぎで、その会社との会合のことが出ていた。詳細は、メールに添付された議事録を参照ということだったが、メールは木曜日の午前中までの分しか目を通していないから、詳細を把握していなかった。
「おれのミスだと言うのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
 口では否定したが、顔はおれのミスだと言っている。
 確かに、メールに目を通せなかったのは、おれのミスかもしれないが、だからと言って、あの場でおれが相手の言い分を認めるのを黙って見ていた副室長にも問題ありだ。相手の話が長くなったところで、「時間がない」とか言って、会合を強引に打ち切ってくれればよかったのだ。少なくとも、秘書室長であれば、間違いなくそうしていた。そうしてくれていたら、おれも、あんな単価の引き上げなど認めなくてもよかったのだ。
 おれは小さくため息をついた。
 副室長も、秘書室長のポジションに入って、まだ日が浅い。当面は、秘書室長のときのようにきめ細かくサポートしてくれるといいうことは期待しない方がよさそうだ。
「わかった。今後は気をつける」
 おれがそう言うと、副室長は小さく頭を下げた。
 昼食は、弁当を取った。
 最近は、小娘が秘書たちを引き連れて食べに行っていたので、こういうことは久しぶりだ。秘書たちが「今日の社長はケチだ」とか話しているかもしれない。
 だが、おれとしては、昨日のうちに終えることのできなかった未読のメールを片付けなければならない。決裁書類も溜まっているし、午後はスケジュールが詰まっている。食べに出ている暇などないので、弁当にしたのだ。本当は、秘書たちと必要以上に顔を合わせたくない、という理由もあるのだが。
 午後は、まず、間接部門会議。総務や人事、電算など、会社に直接利益を生み出さない部門全般での会議だ。できる限りメールに目を通したが、このところ人事異動が多くて、状況を把握し切れていない可能性もあるので、ここはだんまりを決め込むことにした。腕を組んで、不機嫌そうな顔で発言を黙って聞く。おれとしては、以前からよくあることなので、問題ないだろうと思っていたら、またしても会議終了後に副室長に言われた。
「今の会議、総務部長を叱責するんじゃなかったんですか」
 そんな話は知らない。事前に目を通していた関連のありそうなメールを見ても、そんな話は出てこなかった。社長室に戻って、1人きりになったところで、小娘に電話で確認した。
「ああ、その話ですか。先週から、経営委譲の話があって、社内でも特に総務が浮ついているから、間接部門会議で雷を落としておこうということになったんですよ」
「そんな話、メールにもなかったぞ」
「メールでは出なかった話ですから」
「そういうことは教えておいてくれないと困るだろうが」
「だから、机の引き出しに事前資料を入れておきましたよ」
「なんだと?」
 おれは、社長席の机の一番上の引き出しを開けた。
 真ん中の目立つところに「間接部門会議事前資料」と書かれた封筒が入っていた。
 おれは、無言で頭を抱えた。
「週末に元の体に戻ったら、旦那さまが困るだろうと思って、わざわざ旦那さまのために作らせたんですよ。見てくれなかったんですか?」
「存在自体を知らなかったんだ。見ようがないだろう」
「旦那さま、引き出し開けてなかったんですか? 引き出しを開けたらすぐにわかるようにと思って、一番上に置いといたんですから。久しぶりに自分の席に戻ってきたんだから、机の中ぐらい確認しましょうよ」
 まあ、確かに引き出しぐらい一通り開けて、机の中がどうなっているか、確認しておけばよかったとは思うが、今更言われても遅い。
「大体、副室長は、この資料のこと教えてくれなかったんですか?」
 その通りなのだが、副室長は社長の中身が入れ替わっているなんてことは知らないのだ。彼女にしてみれば、先週、社長が自分で机の中にしまったのだから、そんなことは言わずもがなだと思ったのだろう。
「もう、いい」
 おれは、あきらめて、電話を切った。
 結局、この日は、終始こんな調子で、おれの社長復帰初日は、ミスまみれの1日となった。
 会議だの会合だのが終わって、夕方になってもおれの仕事は終わらない。さすがに、今日は未読のメールを片付けなくてはならないし、溜まっている決裁書類も処理しないといけない。結局、深夜までかかったのだが、前日までのメールに目を通したのがやっと。今日の分は、また積み残しとなってしまった。
 そうやって、遅くまで仕事をしていたのだが、妻の呪によって精力絶倫となったおれの下半身が、そんな時間までおとなしくしているわけがない。夕方に2番目に若い秘書を抱き、世も更けてから副室長を抱いた。結局、我慢できなくて秘書を抱いたわけだが、終わった後、彼女たちがおれに向ける視線の中に、失望の色が混じっているのを見て取って、おれはその都度落ち込んでいた。1日で3人の秘書を抱くなんて、以前のおれからしたら、快挙と言ってもいいことなのだが。その3人が、裏でおれのつたないセックスを嘲笑っているような気がしてならなかった。きっと、このことは秘書室長にも伝わっているだろうし、ひょっとしたら、妻にまで報告が上がっているのかもしれない。
 火曜日も、同じような調子だった。前日分の未読メールを片付けているうちに、新たなメールが次々に飛んでくる。秘書室長をはじめ、電機メーカーに出向になっている社員が多いため、以前と比べても、飛んでくるメールの数が半端ではなくなっている。決裁書類の数も同じように増大していて、これでは確かに、小娘が言っていたように、何から何までおれが目を通すなんてやり方では、会社は回っていかない。早急に仕事の方法を変える必要があるが、当面は、メールと書類の山をおれが片付けていくしかなかった。人と会う合間に事務作業。時間があれば、秘書を抱く、という感じで1日が過ぎていった。
 やはり、副室長に、何度か仕事のミスを指摘されたが、この日いっぱいで、ようやく未読のメールと山積みされていた決裁書類をすべて片付けることができた。


 水曜日の午後に、秘書室長が会社にやってきた。電機メーカーの経営委譲についての進捗会議があるのだ。今のところ、秘書室長はそれに合わせて週1回戻ってくるということになっているようだった。
 経営委譲については、電機メーカーの株主総会で正式に決定されたわけではないのだが、既に向こうの会社の中に両社合同のプロジェクトチームが作られて、速やかに新体制・新方針へと移行できるよう作業が進んでいる。それを中心になって推し進めているのが秘書室長だ。現在は、工場部門の作業内容を徹底的に洗い直しているところ。今後は、営業や事務部門も同様にして洗い直し、まったく新しい会社を作るぐらいの意気込みで改革に取り組むと報告された。
 報告の後、おれは社長室にやってきた秘書室長を抱いた。さすがに秘書室長ぐらいになると、不満な顔など微塵も見せなかったが、実際にはどんな感想を持ったか、わかったものではない。
「社長、少しお話が」
 事が終わって、コーヒーを飲んでいたら、秘書室長がそう言ってきた。彼女は、既に元のレディーススーツにミニスカートという格好に戻っている。
「単刀直入に申します。社長、どこか、お体に悪いところがおありなのですか?」
「い、いや。――どうしてだ?」
「副室長から報告が上がっています。今週の社長は、ミスが多く、物忘れもたびたび起こしているとのこと。先週まではそんなことはなかったと言いますから、週末に体調を崩されたのではないかと、心配しておりました」
 ちょっと待て。ということは、何か? 先週までの「社長」、つまり、小娘は、ちゃんと社長の仕事をこなしていたのだが、今週の「社長」、要するに、おれは、社長として失格だ、とでも言いたいのか。
「別に、なんともないぞ。それとも、お前から見て、体調が悪いように見えるか?」
「いえ、そのようなことは……」
 秘書室長はそう言ったが、「体調が悪いようには見えないが、セックスは下手になった」とでも思っているのだろう。
「ただ、あまりにも、ミスや物忘れが多いため、心配していたようです。まるで、別人のようだとも申しておりました」
 そうだ、その通りだ。先週の「社長」と今週の「社長」は、別人だ。ただし、今、ここにいるのが本物で先週までの「社長」は偽者なのだが。
「そうか。ひょっとして、おれが社長の皮を被った偽者だと疑っているんだな」
 おれは、冗談めかしてそう言ってみた。さすがの秘書室長も、人間を入れ替える呪などというものがこの世に存在するなどとは思ってもいないだろう。
「もし、そうだったら、驚きます。だって、今の社長は、本物の社長にそっくりなんですもの」
 秘書室長は、おれの冗談に付き合って、そんなことを言ったが、あくまで先週の小娘の社長が本物であるということを前提にしているところがちょっと引っ掛かった。この優秀な秘書室長でも、「社長が1ヶ月前に1度偽者に入れ替わった」という発想はないのだろうか。どちらにしても、今の秘書室長の基準では、先週の小娘が中身の社長が、社長としてのあるべき姿で、今のおれは、社長としては及第点に達していないということなのだろう。
 秘書室長は、おれの犯した「ミス」についての対処の報告をした。
 おれが部品単価の引き上げを認めてしまった会社に対しては、単価引き上げを認める代わりに、おれの会社の最新の工作機械を導入することを求めることにしたらしい。この会社の工作機械は、2年ほど前に新品を導入したばかりだから、リース期間がかなり残っている。向こうとしてはリース契約の更新などしたくはなかっただろうが、単価引き上げを認めてもらった以上は、呑まざるを得ない。前の機械は、うちが下取りして、資金難を理由になかなか新しい工作機械を入れたがらなかった部品メーカーに安価で導入することになったようだ。
 さすがに、このあたりの秘書室長の仕事ぶりは、そつがない。こういったことでは、副室長は、秘書室長の足元にも及ばない。
 その他の「ミス」についても、おれがやったことが、致命的にならないような落としどころを見つけて、話を収めて見せた。
「なあ、毎日とは言わない。せめて、週の半分でも、こちらに戻って、秘書室長として復帰してくれないか」
 おれは、秘書室長の話が終わると、彼女にそう頼み込んだ。
「副室長では、不満だとおっしゃるのですか?」
「彼女は優秀だよ。だが、融通が効かない。今回のミスは、確かにおれが悪かった。だが、彼女が機転を利かせてくれていれば、回避できたものがほとんどだ。お前がそばにいてくれたら、機転を利かせて未然に防げたと思うんだ。そういうことに慣れるまで、もう少し彼女について、指導してやってくれないか」
「ですが、わたくしと副室長とでは根本的にタイプが違いますから、彼女がわたくしのように仕事をするのは、無理だと思うのです」
「どういうことだ?」
「彼女は、確かに優秀ですが、それは、与えられた仕事を完璧にこなす優秀さです。残念ながら、その場で機転を利かせるというようなことには向いていません。ですが、彼女は、上司がしっかり指示を与えてやれば、与えられた仕事は完璧にこなす子です」
「おれが、あいつを使いこなせていない、と言いたいのか?」
「とんでもありません。現実に、先週までは、社長が彼女を上手く使いこなしていたではありませんか」
 それは、「おれには使いこなせない」と言われているのと同じことだ。
「正直申し上げまして、わたくしも、社長のおそばを離れることには不安を抱いておりました。残った秘書たちで、ちゃんと社長をサポートできるのだろうかと。ですが、ここ1ヶ月ほどの社長のお仕事振りを拝見させていただいて、そのようなことは杞憂だと思ったのです。今の社長であれば、サポートどころかあの子たちを引っ張っていっていただけると確信しましたので、今回の電機メーカーへの出向をお受けいたしたのです。実際、先週までは、うまく行っていたではありませんか。先週まではできていたことなのですから、今まで通りにしていただければ、副室長以下の秘書たちで充分だと思いますが」
「せ、先週まで、先週までと言うな!」
 おれは、思わずそう怒鳴ってしまった。秘書室長は、何がおれの逆鱗に触れたのかわからないようで、怪訝な目でおれを見ている。
「もういい。取りあえず、副室長には、当面の間、おれをこまめにサポートするように言っておけ」
「は、はあ」
「多少、おせっかいが過ぎるぐらいでも構わん。とにかく、わかりきったことでも、いちいち確認を入れるようにさせろ。わかったな」
 おれがそう言うと秘書室長は「わかりました」と頭を下げて、社長室を出て行った。もちろん、彼女が不満を顔に表す筈もなかったが、胸の内は、不満でいっぱいに違いなかった。


 1週間もすると、小娘からの引継ぎの不備による仕事のミスはなくなった。
 だが、おれと副室長の間の呼吸は、ぎくしゃくしたままだった。以前の秘書室長のように、おれが何も言わなくてもサポートしてくれる、というわけにはいかないのだ。
 どうも、小娘は、副室長に対して、いつも、事細かな指示を出していたらしい。副室長としては、「社長」に言われたこと完璧に遂行すればよかったのだが、おれは、そこまで細かいことは言わない。基本的には、どんなことをやりたいか、どんなものが欲しいかを伝えるだけだ。これまでは、秘書室長にはそれで通じたし、秘書室長から他の秘書たちに指示を出すときには、彼女が具体的な作業にまで落とした上で指示を出していたようなのだが、今はその秘書室長がいない。
 仕方がないので、おれの方で、なるべく細かい指示を出そうとするのだが、慣れないためか、どうしても指示漏れが出てしまう。そのため、あれはできたか、これは大丈夫か、と、こちらから常に彼女の仕事ぶりをチェックしていなければならない羽目になってしまった。
 彼女の方も、おれに対して、いちいち書類の内容を説明したり、会議のシナリオを事前に確認したりと忙しい。元はといえば、おれがミスをしないようにさせていたことだが、大半はわかりきったことだったし、その割りに、重要なことを確認し忘れることもあったりして、段々鬱陶しくなってきた。それで、彼女の言うことを適当に聞き流していたら、また、ミスが多くなってしまった。これでまた副室長との間がぎくしゃくする、という悪循環だ。
 副室長としては、秘書室長から仕事を引き継いだ直後――まだ「社長」の中身が小娘だった頃のように、的確で事細かな指示を出して欲しいのだが、おれが具体的な指示を出してくれないことが不満なようだ。
 ということで、おれと副室長との仕事上の関係は、日々、ストレスが溜まるものとなっていった。
 正直、楽しくない。以前は、仕事は忙しかったが、もっと充実していた。折角、他業種への参入を果たせるところまできたというのに、仕事がちっとも面白くなくて、ストレスばかりが溜まるというのは、どういうことだろう。
 いや、仕事でストレスが溜まるのならまだいい。
 それよりも大きな問題は、セックスの方だ。
 おれは、つい1ヶ月前まで「今のおれに、25歳の肉体があったら」と考えていた。その頃のおれは、たった1度のセックスで役立たずになってしまう自分の体を忌々しく思っていたものだ。
 それが今のおれは、妻の呪によって、25歳のときと変わらない――いや、それ以上の精力絶倫の体を手に入れることができた。おれに取っては、夢の実現だ。妻公認の愛人である秘書たちを朝から晩までかわるがわる抱くことが可能になったのだ。
 だが、実際に、秘書たちをかわるがわる抱いていたかというと、そんなことはない。そんなことをしている暇がないぐらい仕事が忙しい――というのは、建前で、本当は、秘書たちがおれとのセックスが終わった後に見せる不満の色が気になって仕方がなかったのだ。
 秘書たちがおれとのセックスでどんな思いを抱いているのか、本当のところはわからない。だが、彼女たちが小娘が中身の「社長」と今の「社長」を比べて、今のおれに不満を抱いているのだろうということは、容易に想像できた。
(小娘と比べられている)
 そう思うと、秘書たちを抱くことはできなかった。結局のところ、おれには、彼女たちを満足させる自信がなかったのだ。それに、今のおれは、以前のように秘書たちの豊満な体を見ても、以前のように興奮しなくなっていた。
 もちろん、体は別だ。妻の呪にって精力絶倫となったおれの下半身は、四六時中といっていいほど、猛り狂っているが、頭の方は妙に醒めていた。彼女たちの豊満な体を見ても、「胸が大きくて羨ましい」といったように、おれが小娘だったときのような視点でしか彼女たちを見ることができなかった。実際、会社にやってきたときに彼女たちを見る目も、以前のように女を品定めするような目ではなくて、彼女たちの着ている洋服や、つけているアクセサリー、化粧の仕方などに目新しいものがないかといったことをチェックしてしまうのだ。今更そんなことをチェックしたところで、今のおれではそれを役立てようがないというのに、そういった女としての視点ばかりで秘書たちを見てしまう。最初のうちは、おれが少女の体に1ヶ月もいたためで、元の男の体に慣れればそんなことは考えなくなるだろうと思っていたが、3日経っても、1週間経っても、そうはならなかった。
 そんなわけで、おれは、秘書たちを抱くのは、体がどうしても我慢できないときだけ。均してみると、2日に1人程度になった。何のことはない。小娘と体を入れ替えられる前と変わらないペースに戻ってしまったというわけだ。
 秘書たちを抱くペースは元に戻ってしまったが、おれの体の絶倫ぶりは以前とは違っている。当然のように、おれの下半身が黙っている筈もなかった。
 結局、おれは、自慰によっておれの下半身を鎮めるしかなかった。妻公認の愛人たちがいるというのに、精力絶倫の体を自慰によって鎮めなければならないというのは情けない話だが、秘書たちに心の中で「下手くそ」と罵られるぐらいなら、誰にも見られずに、1人で始末をつけていた方がいくらかましだった。
 こんな状態だったら、絶倫の体でいる意味などない、と思って、妻にこの呪を説いてもらおうと思ったこともあったが、結局それを言い出せないでいた。この呪の本来の目的は、精力絶倫とすることではなく、体に力を溢れさせ、若さを取り戻すことなのだ。この呪のおかげで、30代半ばを迎えて落ち込み気味だったおれの体力は、20代のときのような力強さを取り戻していた。1日や2日の徹夜など平気だし、疲れた後の回復も早かった。なにより、食べ物をたくさん食べられるし、しかも、何を食べてもうまい。難点をいえば、甘いものが食べられないことだが、それは以前からのことだったので、仕方がない。股間のものが制御できないほど暴れ出すことを除けば、おれは、この力強い体が気に入っていた。
 おれは、下半身が疼いて我慢できなくなると、「居間」にあるパソコンで、アダルト動画のファイルを開いて自慰に耽った。動画販売サイトでアダルトビデオを適当に何本もダウンロードしたのだが、おれが使うのは、いつも決まって同じものだった。
 主演のAV女優は小柄なロリ系の少女。胸は小さいが美少女といっていい。設定としては、女子高生の彼女が家庭教師の大学生に抱かれるというもの。どこかの高校の制服らしきブレザー姿の美少女が、家庭教師の大学生にキスされて、服を脱がされ、抱かれる。特にストーリーも何もない。だがおれは、この美少女に感情移入してしまうのだ。
 少女だった頃のおれと、似ているというわけではない。だが、おれは、少女だった頃を思い出して、画面の少女になりきっている。キスされて、小さな胸を触られて、男に貫かれる。それがどんなに素晴らしいことだったかを思い出して、おれの脳は、はじめて興奮する。
 もちろん、おれの頭が少女としてのセックスに興奮しているときも、おれの下半身は、男として興奮している。
 どうしておれにこんなものがついているのだろう?
 おれは、その忌々しくも禍々しいその一物を握り締めて、自慰に耽るのだった。


 おれと小娘が元の体に戻ってから、おれは小娘とは、ほとんど会わなかった。会社の仕事のことで、電話で話すことはあったが、それも最初の数日ぐらいで、1週間も経つと、電話することもなくなり、小娘の姿を見かけることも滅多になくなった。
 元々、小娘の勤務時間帯は、おれと顔を合わせないような時間に設定されていたので、当然といえば当然だった。おれが定時に帰ってくれば、顔を合わせることもあったのだろうが、現在の状況では、仕事が忙しくて、定時に帰るなんて事はありえない。おれが、朝を遅らせて出社したときに、屋敷にやってきた小娘を1度見かけたきりだった。
 そのとき、久しぶりに見た小娘は、やはり、鏡の中でおれと向き合っていた少女とは別人のように地味な印象だった。かつて普段着にエプロン姿で家政婦として働いていた頃に比べたら、高価でかわいらしい服やアクセサリーに身を包んでいたのだが、どうにもぱっとしない。これだったら、いつものアダルトビデオの少女の方がまだかわいいんじゃないかと思ったぐらいだ。
 元に戻った頃はホテル住まいだった小娘だったが、近くに手頃なマンションが見つかったので、そこに住むようになった。1人暮らし用のコンパクトなマンションだったが、高級住宅街の部屋ということで、結構な値段がした。秘書が使う社宅扱いなので、費用はすべて会社持ちだ。屋敷からは、歩いても10分かそこらの距離らしいが、小娘は、いかにも若い女の子が乗るようなパステルカラーの軽自動車に乗ってやってくる。この車は、「社長の給料」として支給された金で買ったらしい。時々、妻を乗せて、ドライブに出かけたりするそうだ。結構飛ばすので、ちょっと怖い、と妻は言っていた。経営委譲の提案が電機メーカーの株主総会で承認されて、ボーナスが支払われたら、もっと高くてスピードの出る車を買うのだと言っているようだ。
 ちなみに、小娘は、もう1人の通いの家政婦からは「お嬢さま」と呼ばれているらしい。通いの家政婦との違いを明確にするために、そう呼ぶことにしたようなのだが、妻の侍女に過ぎない女に「お嬢さま」もないと思う。どちらにしても、大変な出世をしたものだ。
 その小娘から久しぶりに電話がかかってきたのは、元の体に戻って2週間ばかりが過ぎた頃だった。
 実は、この数日前にIT企業の女社長から、写真集の撮影のため、また小娘を貸してほしい、と言われていたのだ。そういえば、おれが小娘の体で写真集の撮影に借り出されたときに、「来月の撮影にも来て欲しい」と言われていた。経営委譲提案を諮る電機メーカーの株主総会も迫っているので、今の時期、女社長の機嫌を損ねるわけにはいかない。
 前回の写真集の撮影に行ったのは、小娘の姿をしたおれだったわけだが、今回は、おれが行くわけにはいかないので、妻を通して、小娘に写真集の撮影に行くように指示をした。最初は嫌がっていたようだが、業務命令ということで、有無を言わせずに行かせることにした。名ばかりとは言え、おれの会社の従業員で、給料だって払っているのだから、たまには仕事をしてもらわないと困る。おれだって無理矢理行かされて恥ずかしい思いをしたのだ。小娘にも同じようにやってもらうのが当然だ。おれがやっていた秘書の仕事を小娘に引き継いだだけで、決して、これは意趣返しではない。
 そういう話があって、小娘は、撮影の段取りなどをおれに訊くために電話してきたのだ。撮影は、数日後だという。
「あたし、写真集の撮影なんて言われても、どうしたらいいか、わからないんですけど」
 元の体に戻っても、小娘の喋り方は、相変わらず馴れ馴れしい。一従業員が社長に対する話し方ではないと思うのだが、小娘にしてみたら、自分は妻の侍女であって、おれの部下ではないというような気持ちなのだろう。それに、おれと入れ替わっていた1ヶ月の間に、彼女としては目のくらむような大金を稼いでしまったので、今更クビになっても痛くもかゆくもないという気持ちもあるのかもしれなかった。
「何も考えずに、言われた通りにしていればいい。朝は迎えが来るようになってるんだろう?」
「あたしの家まで、向こうの秘書の人が来るって言ってましたよ」
 秘書、と言われて、おれはちょっとどきっとする。
「なんか、年配の秘書の人が来るそうです」
 イケメン秘書でないと知って、何だかホッとする。それはそうだろう。小娘と彼とは別れたことになっているのだ。向こうだって、そのあたりは気を遣ってくれている筈だ。
「だったら、その男についていけばいい。あとは、向こうに行ったら、着ろと言われた服に着替えて、立てと言われた場所に立って、座れと言われたら、座る。それだけのことだ」
「でも、ポーズとか、表情とか難しいんじゃないですか」
「いいか。あくまで主役はあの女社長。お前は、彼女を引き立てるための背景みたいなものだから、ほとんどの場合は、無表情で突っ立っているだけだ。笑えと言われたときに笑えばいい程度だ」
 そんなことを伝えておいて、そのことはすっかり忘れてしまっていた。そうでなくても、あの写真集の撮影のことは、おれに取っては消し去ってしまいたい記憶の1ページなのだ。どうせ、忘れた頃に写真集が出版されて、嫌でも思い出されることになるのだろうが。
 それから数日が経った金曜日に、おれの会社に女社長が突然やってきた。例によって、アポなし訪問だが、追い返すわけにもいかない。電機メーカーの株主総会は、10日後に迫っていた。彼女の持っている株については、ちゃんと書面を取り交わした上で委任状を取ってあるので、いまさらひっくりかえされることはないと思うが、それでも、このタイミングで彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。おれは、出席していた社内会議を中座し、その後に予定していた関連会社の社長との会談の約束を急遽キャンセルして、彼女と会うことになった。
 社長室に戻って待っていると、副室長に連れられて、女社長がやってきた。
 この体で彼女を見るのははじめてだ。小娘の体にいたときには、自分よりも体の大きな女という印象だったが、元の体で見る彼女は、小柄な美少女だった。
 だが、おれが女社長のことを観察したのは、ほんの一瞬に過ぎなかった。次の瞬間には、おれの目は、彼女の後ろに控えていた若い男に釘付けになった。
 イケメン秘書が、女社長の後ろで、影のように立っていたのだ。
 おれは、思わず「あっ」と声を出してしまった。
 おれが出した声に反応して、彼がおれの方を見た。それで一瞬だけ目が合った。
 今のおれは、彼と同じぐらいの身長がある。いつも、見上げていたので、同じ目の高さで目を合わせるのには、違和感があった。彼は、おれと目が合ったのに気付くと、無礼を詫びるように目を伏せた。まさか、目の前にいる体格のいい男が、何度も体を重ねて愛し合った少女だなどと気付く筈もない。
「取りあえず、お茶でも飲むか?」
 女社長に対する話し方などは、事前に小娘から聞いている。本来なら取引先の会社の社長同士なのだから、お互い敬語で喋るべきなのだろうが、気の知れた友人のように話していたということだ。まあ、何度も肌を重ねた「愛人」のようなものなのだから、その方が自然なのだろう。
 おれは、妻や秘書たちに対するときのような口調で女社長に話しかけた。最初に彼女に会ったときには、秘書の立場で敬語で話していたので何だか変な感じだ。
 おれと女社長は、「居間」に入った。双方の秘書たちは外で待機だ。一度だけ、うちの一番若い秘書が飲み物とお菓子を持ってやってきた。おれはいつものコーヒー。女社長には、紅茶とプリン。突然の訪問だったので、秘書たちが「お茶会」用に用意していたものを流用してくれたのだろう。女社長は、さも当然、という顔で、プリンを食べた。
 おれは、改めて、プリンを食べる女社長の姿に見入っていた。
 もう今年で27歳になる彼女は、こうして至近距離で見ていても、高校生ぐらいにしか見えない。妻は、女社長には、成長を遅らせる呪が施してあると言っていた。そのため、肉体年齢は、まだ二十歳前なのだという。それを知った上で見ると、確かに、この女は、通常の時間の流れとは別のところで生きているように見えた。
「ねえ、あなたのところの秘書の子のことなんだけど」
 紅茶のカップを口に運びながら、彼女が言った。
「秘書?」
「昨日、写真集の撮影のために借りたあの若い子のこと」
「ああ」
 そうか。小娘の撮影は、昨日だったのか。すっかり忘れていた。
「あの子、どうしちゃったの?」
「何かあったのか?」
「前、会ったときと、全然感じが違うんだけど。以前の撮影のときは、もっとかわいくて、輝いていたんだけどなあ」
 それは、おれが写真集の撮影に行ったときのことを言っているのだろう。小娘の姿をしていたときのこととは言え、おれは「かわいい」とか「輝いていた」とか褒められて、悪い気はしない。
「だけど、昨日は、全然駄目。何だか、その辺に転がってるような平凡な子になっちゃって。ねえ、あの子、本当に前に撮影に来てくれた子だよね」
 女社長はそう言って、おれの方を見る。
「どこかおかしかったのか?」
「顔かたちは、確かに前と同じ子なんだけど、何だか、内面からにじみ出るものが違うというか――何て言うのかな。一言で言ったら、まるで別人って感じだったの」
 そんなことを言われて、おれはどきりとする。さすがにこの女社長も、勘がいい。妻は、女社長はおれと小娘の入れ替わりのことは知らないと言っていたが、彼女は呪というものの存在を知っているのだ。何か勘付いていても不思議ではない。
「もう、まるで撮影にならなかったんだから。おかげで、貴重な撮影の日を半分棒に振ったって感じ。あれじゃもう、使い物にならないかなあ。折角いい写真集になると思ったのに、また何か考えないと」
 小娘の奴、そんなに酷かったのか。一体、何をやらかしたんだ?
「撮影って言ったって、後ろで立ってるだけだろ。何がまずかったんだ?」
「何がって、もう全部。会ったときから、何この子ってぐらいオーラがないの。先月会ったときは、かわいくて、初々しくて、思わず抱きしめて頬ずりしたくなるような子だったのに」
 頬ずりしたくなるって、実際、しただろう。
「折角、撮影が終わったら、ご褒美をあげようと思ってたんだよ」
「ご褒美?」
「そう。ほら、前にも教えてあげたじゃない。あなたのとこの中学生みたいな秘書の子が、あたしの秘書にメロメロだって」
 そんな風に言われていたのか。それに、「中学生みたい」は余計だ。
「それが、この間、突然別れましょうって言ってきたんだって。理由はさっぱり謎。電話しても、全然つながらないんだって。でも、あんなにうちの秘書にメロメロだった子が、そう簡単に彼を忘れられるわけはないじゃない。何しろ、彼のテクニックといったら、うちの秘書の中でもトップ。あなたともいい勝負なんだから」
 そうなのか。おれといい勝負、と言われても、この場合の「おれ」というのは、小娘のことなのだ。少女として褒められたときには嬉しかったが、今度は何だか腹立たしい。
「別れようなんて言ってても、本心では会いたいって思ってるに決まってるじゃない。だから、撮影が終わったら、彼のエスコートで東京湾のナイトクルージングにご招待。もちろん、その後は、ホテルのスイートで朝まで好きなだけ彼に抱かれるってプランを用意してたのに」
「彼に、あいつを抱かせたのか?」
「あれ? ひょっとして、秘書の子を彼に取られて妬いてるの? あの子が彼に抱かれるなんて、いつものことじゃない。あの子が彼に抱かれてどんなに淫乱な娘になるか、いっぱい聞かせてあげたでしょ」
 やっぱり、そうだ。彼は、おれを抱いたことを――おれがどんな風に彼に抱かれたかを、すべて彼の主人である女社長に報告し、彼女がそれを小娘に伝えていたのだ。
「だけど、折角のプランも全部、キャンセル。だって、あんな酷いとは思わなかったんだもの。半日で、もういらない。帰れって、お払い箱。彼とのデートもなし。当然でしょ」
 おれは、それを聞いて、心の中で大きく安堵のため息をついた。
 おれは、小娘がへまをやらかして女社長を怒らせてしまったことよりも、彼が小娘を抱かなかったことを喜んでいた。
 それと同時に、もしも、おれが小娘の体のままでいたら、イケメン秘書と東京湾のナイトクルージングでデートというロマンチックな体験ができていたのだと思うと、惜しいことをした、という気持ちになった。
「ねえ、本当に昨日の子、先月の子だった?」
 女社長が、その整った顔をおれに近づけてそう訊いた。
「ひょっとして、先月の子が撮影を嫌がったから、そっくりな子を代わりに寄越したとか?」
「そんなそっくりな人間がいるか」
「そうだよねぇ。確かに同じ子なんだけど、何か違うんだよね」
 そう言って、彼女は、紅茶のカップを持つ手を止めて、おれの方をじっと見た。
「な、何だ?」
「うーん」
 女社長は、何か考えている。ひょっとして、小娘の中身が以前と別人のようだと感じたように、おれのことも、以前と違うように思っているのだろうか。
 おれは、緊張して、おれを見つめる彼女の目を見返した。
「まあ、いいや」
 そう言うと、彼女は、カップの紅茶を飲み干した。
「シャワー、借りるね」
 彼女は、勝手知ったる他人の家、という感じで、奥の「寝室」へと入っていく。
 やはり、やらなければいけないらしい。
 実は、この日になるまで、何度か女社長からアポイントメントを求める連絡があった。そのたびに、会議だの出張だのと、理由をつけて、断ってきたのだ。今回、彼女がアポなしでやってきたのは、おれに有無を言わせないためなのだろう。
 正直言って、今のおれは、セックスで彼女を満足させる自信がない。おれの秘書たちだって、セックスの後には、不満げな顔を見せる有様なのだ。それなのに、この自尊心が高く、セックスに貪欲なこの「お嬢さま」を満足させられるとは思えなかった。
 だが、今日のおれの下半身は、おれの冷めた頭とは反対に、熱くなっていた。二十歳前の肉体を持つ美少女を前にして、むくむくと存在感を増して、久しぶりに怒張しきっていたのだ。
 おれは、「今日は、やめておこう」と言うつもりだった。だが、おれの股間の異物は、おれにそれを許してはくれなかった。
 おれは、彼女が浴室から出てくるのを待って、バスタオルを体に巻いただけの彼女を抱いた。おれは、シャワーを浴びてピンク色に上気した美少女の柔肌を、荒々しく貪った。
「ちょっと、やめてよ!」
 前戯を終えて、挿入しようとしたときに、おれの下で彼女が突然身を捩った。
「どいてよ。やめてったら!」
 急に彼女の叫ぶ声を聞いて、おれが一瞬たじろいだ間に、彼女は、おれの下から抜け出した。
 おれの股間の異物は、突然、お預けを食って、怒張しきったまま間抜けに震えている。
「あんた、どういうつもり? ふざけとるの? それとも、馬鹿にしとるつもり?」
 彼女は、物凄い剣幕でおれに食って掛かってきた。怒りで、イントネーションが名古屋弁に戻っている。
「昨日の秘書も大概だったけど、あんたもあんただわ。あたしにこんな恥かかせて、ただで済む思っとるの?」
 彼女はそう言うと、バスタオルで体を隠して、浴室に入っていこうとする。
「お、おい。ちょっと待ってくれ」
「来るな! この下手くそが」
 女社長は、浴室に入ると、内側から鍵をかけてしまった。
 おれは、呆然としたが、取りあえず、股間の異物を何とかしなければならない。ティッシュでくるんでやると、既に限界に対していたそいつは、白い液体を大量に発射した。
 なんということだ。男として、こんな屈辱ははじめてだ。
 しばらくすると、衣服をつけた女社長が、浴室から出てきた。
「いい。あんたの会社との関係も見直すからね」
「ちょっと待て。どういうことだ? これと会社のこととは関係ないだろう」
「そんなこと言うんだ。何で、あんたみたいな経営者と組んじゃったのかな」
 そう言うと、彼女は、おれの顔をじっと覗き込むように凝視した。
「な、なんだ?」
「やっぱり、駄目だね。あんたは失格」
「失格だと?」
「だって、あんた、経営者として、無能なんだもん。例の電機メーカーの話もなかったことにするから、そのつもりでね」
「お、おい――」
 おれは、彼女を呼び止めようとするが、彼女はおれには興味を失ったかのように、部屋を出て行こうとする。
「おいっ!」
 おれは、腹の底から力を込めて、出て行こうとする女社長を呼び止めた。
「うちの妻とは以前から面識があるようだな」
 その言葉に、女社長は、ようやく反応した。
 おれは、妻のことを持ち出して、この年齢不相応に若い肉体を持った女に、妻がかけた呪のことを思い出さようとしたのだ。彼女に呪というメリットを暗に示し、おれの会社との関係を断ち切るという発言を撤回させようと思った。
 だが、彼女は、おれの脅しには、動じなかった。
「あんたの奥さんなら、昔から知ってるよ。ちっちゃくてかわいい女の子だった。――可愛げは、なかったけどね」
 彼女はそれ以上は何も言わずに、部屋を出て行った。
 おれは、ひとり「寝室」で、屈辱にまみれていた。


 それから1時間後、おれの社長用の携帯に妻から電話があった。
「先程、あの方から電話がありました」
 あの方とは、女社長のことだ。おれの会社との関係を断ち切ると一方的に通告してきたそうだ。
「詳しいことは電話ではなんですので、そちらに伺います」
「会社に来るのか?」
 結婚して数ヶ月になるが、これまで妻は1度も会社にやってきたことはない。
「あなたさまには、他にもお仕事がおありなのでしょう。わたくしも名ばかりとは言え役員を拝命している身。ならば、わたくしが会社に伺った方がよいではありませんか」
 電話を切ると、おれは秘書たちに、これから妻がやってくる旨を伝えた。妻は、新しくおれの会社の役員に名を連ねたところだが、会社に来たことは1度もない。先刻、IT企業の女社長が、やってきてから大して時間の経たないうちに慌しく帰っていったところだ。その後に、これまで1度も会社には顔を出したことのなかった社長の妻が来るということで、秘書たちは、何があったのだろうかと、訝しげな顔を隠さなかった。
 妻が来るのを待つ間、おれは、電機メーカーに出向中の秘書室長に電話をかけた。
「例のIT企業の委任状のことで確認したいんだが」
「確認といいますと?」
「向こうの社長とちょっと喧嘩してしまってな。ああ、喧嘩といっても、個人的なことだから、心配しなくてもいい。ちょっとした言葉の行き違いだよ。だが、向こうが感情的になって、そんなことなら、委任状を撤回するなんて言い出したんだ。もちろん、そんなことになる筈もないんだがな。一応、念のため、委任状を撤回するようなことがあったら、どうなるのか、確認しておこうと思って」
 おれは、なるべく大事にならないように、「念のための確認」という風を装って、秘書室長に訊いた。彼女が、実際のところ、どう思ったかは知らないが、おれの言葉を額面どおりに受け取って、事務的に委任状に関する取り決めを教えてくれた。
 それによると、電機メーカーの株主総会での委任状と引き換えに、おれの会社は女社長のIT企業にリベートとして相応の金額を支払っている。電機メーカーの株主総会までにその委任状を破棄した場合は、それを全額おれの会社に返還した上で、違約金を払うとのことだった。違約金は高額だが、女社長の持つ資産からすれば、大した額ではない。だが、おれとのセックスが気に入らなかったから、写真集の撮影で小娘のことが気に入らなかったから、という理由で支払うには、ありえないような莫大な金額だ。
 要するに、委任状の破棄は可能だが、そんな気を起こさせないような契約になっているということだ。
「向こうが委任状を破棄した場合、株主総会はどうなる?」
「こちらと向こうの所有する株式はほぼ同じですので、そうなると、メインバンクの動向で勝負は決するかと」
 仮に、女社長が現役員の誰かを次期社長の対抗馬に担ぎ出したとした場合、今の役員たちは、どちらが会社に取って有益か、などということは考えない。どちらが勝つか、奴らの判断基準はそれ1点だろう。負ける側についたら、役員でいられなくなることだけは間違いない。多くの株主は、役員の意向に従うと見られる。となると、結局はキャスティングボートを握る第三者――この場合は、メインバンクの意向がそのまま通る可能性が高い。
「その場合のうちの勝算は?」
「交渉次第ですが、メインバンクは向こう社長の実家とのつながりが深い銀行です。恐らく、うちがかなり不利と思われます」
 実際、メインバンクがおれの会社の提案を支持してくれているのは、女社長が支持してくれたからだ。女社長が敵に回れば、当然、メインバンクも敵に回るというわけか。
 なんということだ。ここまで来て、あの女社長の気まぐれで事態をひっくり返されるなんて。
 そうなると、折角動き出した経営委譲の話はすべて白紙。ここ1ヶ月ぐらいのそれに関する仕事はすべて無駄になる。人件費だけでも相当な損害だ。
「そうなった場合、損害賠償請求はできるのか?」
「できると思いますが、それよりも深刻な問題が」
「何だ?」
「最悪、うちの資金がショートします」
「何だと?」
「ご存知の通り、現在、電機メーカーの株式取得は一段落したということで、当社の資金は、次の買収目標につぎ込まれています」
 既に、次の買収目標である老舗食品メーカーの株式の買い付けが進んでいる。
「電機メーカーの経営委譲による当社の株価の上昇を当て込んで、資金調達をしているわけですが、経営委譲提案が失敗ということになりますと、当社の株価が暴落する恐れがあります。その場合、資金調達に行き詰まり、資金がショートする恐れが出てきます」
「女社長の会社から、リベートの返金や違約金が入るんだろう。損害賠償請求だってある」
「最終的には入ってきますが、向こうはいろいろ理由をつけて、すぐには払わないと思われます。そこで時間を稼がれますと――」
「最悪の場合は、倒産、ということか」
「そこまで行くかどうかはわかりませんが、うちが資金繰りに苦しんでいるタイミングで、向こうはうちが持っている電機メーカーの株を買い叩きに来る筈です」
「銀行から新たな調達できないのか?」
「株価が暴落しては、それも難しいと思われます」
 資金繰りが付かなければ、最悪倒産だ。たとえ、倒産は免れたとしても、高値で買い集めた電機メーカーの株を、資金調達のため、捨て値で売らざるを得ない。どちらにしても、おれの会社は、立ち直れないほどの損害を蒙るということだ。場合によっては、会社ごと女社長に乗っ取られかねない。
 取りあえず、おれは秘書室長との電話を切った。
 おれは、社長室でひとり頭を抱えた。信じられないような不運に見舞われた、と思った。これまで順風満帆に来ていたのに、たった1日で窮地に陥るなんて。だから、こんな経営委譲なんてリスキーな提案などせずに、確実に業務提携あたりで抑えておけばよかったのだ。おれは、勝手に提案内容を変えた小娘のことを恨まずにはいられなかった。
 やがて、副室長の案内で、妻が社長室にやってきた。妻は、ひとりだった。
「あいつはどうした? あいつの車で来たんじゃないのか?」
 小娘の姿がないので、妻にそう訊いた。
「あの子は、わたくしを会社の前で降ろすと、そのままどこかへ行ってしまいました。お話が終わったら、迎えに来るそうです」
 きっと、今の姿で秘書たちと顔を合わせたくなかったのだろう。
 おれは、妻を「居間」に連れて行き、今後のことを協議する。秘書が妻のために紅茶とプリンを持ってきてくれた。おれには、いつものコーヒーと一緒に、女社長のIT企業が出した委任状に関連する書類の束を持ってきてくれた。
 おれは、書類の束にざっと目を通す。見た限り、秘書室長が言っていた通りのようだ。
 おれは、書類の束を丸めて、右手に持ったまま、今後のことについて、妻と協議に入った。
「それで、向こうは、怒っていたのか?」
 おれは、まず、電話をしてきたという女社長の様子を訊いた。元々は、写真集の撮影に行った小娘の振る舞いや、おれとのセックスが彼女を馬鹿にしていたのだと取られたことが原因なのだ。そういった感情的な問題であれば、平謝りに謝って、怒りを解くという手もあるかもしれない。
「電話ですから何とも言えませんが、声は落ち着いていました。まるで、お友達との食事の約束をキャンセルするときのような感じで、あなたさまの会社に出した委任状を破棄すると言われました」
 平然とそういうことを言ってくるところが腹立たしいが、それは妻には言わないでおく。
「委任状を破棄した場合、おまえのかけた呪がどうなるのか、向こうはわかって言っているんだろうな」
「ええ。無駄だろうとは思いましたが、委任状を破棄したら、呪を解くことになると言ってみました。あの方の答えは『それでいいよ』というものでした」
「結局のところ、あの女は何が気に入らないというんだ?」
「申し上げにくいことですが――」
 妻は、顔を少し伏せて言った。
「あなたさまの経営能力では、大事な株券をまかせられない、と」
 おれは、思わず右手に持っていた書類の束を床に投げつけた。綴じられずに丸めただけだった書類の束は、「居間」の床に飛び散った。
「おれでは、駄目だとでも言うのか!」
 経営能力も何も、今日は女社長とは、経営に関する話なんて一言もしていない。これは、小娘の時だって、同じだったという。女社長が何を見て、経営能力の有無を判断しているのか知らないが、経営に関する話を一言もせずに、小娘ならばよくて、おれでは駄目だなんて、あまりにも人を馬鹿にしている。
「申し訳ありません」
 見ると、妻がおれが投げつけて散らばった書類の束を1枚ずつ拾い集めているところだった。
「あ、いや。すまん。つい、カッとなってしまった」
 妻は、すべての紙を拾って、テーブルの上でトントンと整えてから、「はい」と言って、おれに返してくれた。
「あの方は、今すぐにでも、委任状を破棄すると言っていました。わたくしは、何とかそれをやめていただこうとしたのですが、あの方の意思は固いようでした。わたくしにできたことは、あと3日だけ、委任状の破棄を待ってもらうということだけでした」
「3日……」
 今日が金曜日なので、土日を挟んで来週の月曜日が期限ということだ。少しでも時間を稼いでもらったのはありがたいが、たった3日では何もできない可能性が高い。
 株主総会は10日後なのだ。つまり、女社長は3日後に委任状の破棄と新しい社長候補の発表を行い、電機メーカーの社内に揺さぶりをかける。その間にメインバンクに働きかけて、味方につけることができれば、それでおれの負けは確定する。
 おれは、頭を抱えた。女社長に言うことを聞かせることができるのは、呪の力を持つ妻しかいないのだ。その妻でも、委任状の破棄を撤回させることまではできなかったのだ。
 あの女社長は、妻の呪のおかげで、これまで10年もの間、歳を取るのを遅らせて、ずっと美少女の姿でいられたのだ。そんな女が、呪を解かれて、人と同じ時の流れに身を晒したりなどしたくはないに決まっている。それなのに、妻に対して、呪など解いても構わないと言うのだから、状況はかなり絶望的だ。そこまでおれや小娘に対する怒りが大きかったということだ。
「それで、委任状を破棄された場合、どういうことになるのでしょう?」
「どうもこうもない。最悪、倒産だ」
「倒産――」
 珍しく、妻の顔色が変わる。おれは、秘書室長から聞き出したことを、妻に話して聞かせた。
「最悪は倒産。それを免れたとしても、会社は大赤字。他業種への進出なんて、夢のまた夢だ。逆に、会社の規模を縮小しなければならないかもしれん。その程度で済めばいいが、おそらく女社長は、おれの会社を買い叩くつもりだ」
「状況は、深刻、というわけですね」
「なあ、お前の呪の力で、何とかならないのか?」
「そのように、都合よくは……。以前からの約束で、仮にあなたさまの会社の提案に賛成していただけない場合でも、こちらの株式をそれなりの価格で買い取っていただけるとは思いますが」
 これも、買取は済ませても、支払いを遅らせれば、おれの会社は干上がってしまう。向こうとしては、買取の契約だけして金を払わずにおいて、こちらの資金が尽きたところを見計らって、おれの会社を乗っ取りにかかればいい。この約束は、今のおれに取っては、大して事態を好転させてくれはしないだろう。
「そうだ。向こうのメインバンクの関係者とも、『お茶会』とやらで面識があったんだろう。奴らに、株主総会では、女社長の側ではなく、おれの側についてもらうようにできないのか?」
 おれがそう言うと、妻は、困ったように目を伏せた。
「以前にもお話いたしましたが、あの『お茶会』は、わたくしの家来を作るためのものではないのです。あの方たちは、単にわたくしと面識があるという程度の間柄。電話をかけて、噂話の1つも流していただく程度のことならできますが、会社の重要な判断をわたくしどもに有利にしてくれなどということは、まず無理でしょう。そんなことができるぐらいでしたら、そのような回りくどいことはせずに、最初からあの方に、委任状を破棄しないよう、お願いしています」
 おれは、「ふうっ」と大きくためいきをついた。
 妻も、案外役に立たない。女社長に心変わりの1つもさせられないのだ。呪というのは、おれと小娘の体を入れ替えるような信じがたいことを引き起こす力があるというのに――。
 おれは、ふと思いつくことがあった。
「例の呪のことなんだが」
「例の呪、といいますと?」
「おれと、あの娘を入れ替えた呪のことだ。――あの呪は、また1ヶ月経たないと、使えないんだよな」
 おれが思いついたのは、もう一度妻におれと小娘の体を入れ替えてもらうことだった。女社長がどんな判断基準を持っているのかわからないが、少なくとも、おれと小娘が入れ替わっていたときには、小娘の姿のおれのことを気に入ってくれていたし、おれの姿の小娘のことも、経営者として認めてくれていたのだ。それが、元の体に戻った途端、小娘のことは気に入らないと言われ、おれの経営能力にもダメ出しされてしまった。
 だったら、もう一度入れ替われば、女社長は、以前と同じように、おれの会社に任せてくれるようになるのではないか? というか、今のおれには、それ以外に現在のこの状況をひっくり返せそうな妙案は、思い浮かばなかった。
 だが、1つ問題がある。おれが元の体に戻ってから、まだ3週間ほどしか経っていない。妻は、この呪は、1度使ったら1ヶ月は使えないと言っていた。そこまで待っていたら、株主総会は終わってしまう。
「あの呪でしたら、あと2日ほどで使えるようになると思いますが」
 妻は、意外にもそう答えてきた。
「1ヶ月は使えないんじゃなかったのか?」
「あのときはそうでしたが、今は、そこまでの期間は必要ではありません」
「どういうことだ?」
「いくつか要因があるのですが――」
 そう言って、妻は少し考え込んだ。
「呪について、呪の力を持たない方に説明するのはとても難しいのですが、たとえて言うなら、呪とは、高いところにおいてあるものに手を伸ばして取ってくる、というような行為なのです」
「棚から何か下ろすようなものなのか?」
 よくわからないが、おれは、そう訊いてみた。
「そんなところです。ですから、呪を使う者に取っては、呪とは造作もないことなのですが、呪の力がない人には、その高いところにあるもの自体が見えないようなのです」
「見えないものは、取りようがない、というわけか」
「その通りです。それで、今回の体を入れ替える呪ですが、これは、かなり高い棚に乗っているものを取るような呪なのです。普段、使っている呪は、わたくしが手を伸ばせば届くようなものなのですが、この呪は、手を伸ばしただけでは届きません。助走をつけて、ジャンプしないと届かないような高さなのです」
「だが、あの呪のとき、お前は、助走をつけたりしなかったぞ」
 あのとき、妻は座っていただけで、気が付くと、おれと小娘の体が入れ替わっていた。
 おれの言葉に、妻は苦笑した。
「助走したりジャンプしたりというのは、もののたとえです。とにかく、全力で跳び上がらないと手の届かないところにある呪ですから、1度ジャンプすると、疲労でしばらくの間、ジャンプできません。次にジャンプできるようになるまで、1ヶ月かかってしまったのです」
「たった1回ジャンプしたぐらいで、1ヶ月も疲れが取れないのか?」
「ですから、もののたとえだと言ったではありませんか。実際にジャンプするわけではないのですよ」
 そう言って、妻は楽しそうに笑った。案外、妻は呪などという秘密の力について話す相手がいることを喜んでいるのかもしれない。
「それじゃ、どうして今度は1ヶ月足らずで回復したんだ?」
「慣れた、といいますか、コツを掴んだといいましょうか。今までは、1メートル跳ばないと手が届かないと思っていたのが、これまでに2回やってみて、実際は、うまく跳べば、90センチ跳ぶだけで、手が届くことがわかった、という感じです。1メートル飛べるように回復するには1ヶ月かかりますが、90センチ跳べばいいのなら、もう少し短い期間で回復できる、というわけです」
「なるほど」
「もう1つは、実は、呪の力というのは、常に一定というわけではなくて、力が強くなる時期というのがあるのです。ちょうど今がその時期に当たるのです」
「力が強くなるというと、普段より、ジャンプ力があるということなのか?」
「ちょっと違います。どちらかというと、普段よりも背が高くなっているという感じでしょうか」
 なんだ、そりゃ。
「今は、わたくしの呪の力が強く、前回より、わたくしの身長が10センチほど高くなっているとお考えください。コツを掴んだことで、90センチ跳べば手が届くようになっている上、背が10センチ高くなっているわけですから、あとは80センチ跳べるようになるまで回復すれば呪が使えるということになります。それで、前回は1ヶ月かかったのが、今回は、20日ほどで再び入れ替えの呪を使えるというわけなのです」
「わかった。とにかく、あと2日ぐらい経てば、また入れ替えの呪を使えるようになるというんだな」
「そうですが――あなたさま、まさか、またあの娘と体を入れ替えるというのですか?」
「仕方がないだろう。会社の命運をあの女社長に握られているんだ。入れ替わった状態では、おれもあの娘も女社長に認められていたんだ。どうせこのままでは、会社は壊滅的な損害を受けるんだから、理不尽でも、何でも、やってみるしかない」
 折角、元の体になったのに、また少女の体に戻るというのは不本意だが、会社の存続のためだ。おれが犠牲になるしかない。それに、入れ替わっても、また20日も経てば元に戻れるのだ。今の妻の話からすると、もっと早く戻れるかも知れない。その頃には、株主総会も終わっているから、元に戻ったことで、女社長が文句を言い出しても、後の祭りだ。翌年の株主総会のときにまた敵対するかもしれないが、最悪、その場合は、また一時的に入れ替わればいい。長くても、1ヶ月もあれば、元に戻れるだろう。
「わかりました。あなたさまがそこまで仰るのでしたら。――それでは、あの方にもう一度だけ会って欲しいということでお話してみましょう」
 妻はそう言って、携帯を取り出し、女社長に電話をかけた。
「――ということでようしいでしょうか? 恐れ入ります。では、それでお願いいたします」
 会社の存亡の危機について話し合っているとは思えない穏やかな口ぶりで、妻は話していた。
「話はつきました。もう1度だけ会ってくださるということです。と申しましても、急に写真集の撮影と言うわけにも参りませんので来週の月曜日の午前中に、秘書――あなたさまのことですが――と会うだけ会って下さるとのことです。その後、午後にこちらに来て、社長――あの娘と会うということでした」
「取りあえず、それまでは委任状の破棄は待ってくれるということか」
「はい。ですが、この日にあなたさまやあの娘と会っても心変わりがなければ、即刻、委任状を破棄して、その旨を関係各所に通達するそうです」
 おそらく、その頃には、おれの会社の提案に対応するための社長候補の選任も、メインバンクへの根回しも終わっているのだろう。そうならないように、おれと小娘とで、なんとか女社長の気持ちを翻して見せなければならない。
「ところで、勝手に決めてしまったが、あの娘の方はいいのか?」
「あの娘は、わたくしの侍女でございますから。何とでもなります。それに、あの子は、またあなたさまと入れ替わってみたいと申しておりましたので、この話を聞いたら、喜ぶのではないでしょうか」
 小娘は、入れ替わっているときも、しきりに「このままでいましょう」と言っていた。
 小娘の希望をかなえてやるようなことになってしまったのも癪に障るが、今回は、そんなことを言ってられない状況だ。
 ここはもう、腹を括るしかない。
 おれは、立ち上がって、うん、とひとつ大きくうなずいた。
 それに答えるように、妻も立ち上がる。
「それでは」
 立ち上がった妻は、おれに向かって厳かにこう言った。
「日曜日に、もう一度あなたさまとあの娘の体を入れ替えることにいたしましょう」

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》 - ジャンル : 小説・文学

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