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呪遣いの妻 19

 結局、小娘に夕方までおもちゃにされて、おれが正気を取り戻した頃には、あたりが暗くなっていた。小娘は仕事があるからと、一足先にヘリで飛び立っていった。これから名古屋で会議があるらしい。今日は朝まで抱いてくれるんじゃないかと期待していたのに。
 おれが身支度を整えて、東京に戻ってきた頃には、すっかり夜になっていた。
 そのまま妻の屋敷へと向かう。
 おれは、女子高を卒業するまでは女社長のマンションで一緒に暮らしていたのだが、短大に通うようになると、妻の屋敷の近くに自分でマンションを買って、そこで暮らすようになった。女社長が東京にいるときには、極力彼女のマンションに行くようにしていたが、それ以外の日は、イケメン秘書たちに抱かれる時以外は、大抵、妻の屋敷に通い詰めていた。
 理由は簡単だ。妻の屋敷には、おれの息子がいるからだ。
 とにかく、おれの息子は、かわいい。
 この世の中に、こんなかわいいものがあったのかと、改めて思う。
 目の中に入れても痛くない、という表現があるが、本当に痛くないに違いない。
 自分で産んだわけでもないのに、どうしてこんなにかわいいのだろう?
 かつての秘書たちの子供にも会ったことはある。同じ「おれ」の遺伝子を受け継いでいる子供で、確かにおれの小さい頃に似ている子もいるのだが、おれの息子ほどには、かわいいとは感じない。やはり、「おれが産ませた子供」というところが違うからだろうか?
 6歳にもなると、何でも喋るようになる。腕白盛りなのは、おれの子供の頃にそっくりだ。腕白な中にも、時折、賢そうな表情を見せることがある。物覚えもいいし、頭の回転も速そうだ。おれと妻との間にできた子なのだ。優秀に決まっている。妻に言うと、親バカだと笑われるので、黙っているが。
 この子は、将来はこの家の当主として、妻と小娘が作り上げた大企業グループを束ねていくのだ。妻の手によって、そのときのために、厳しく躾けられている。
 そんな中で、本来の父親であるおれは――小娘の姿をしているおれは、最愛の息子からは「おねえちゃん」と呼ばれる存在だった。小娘がこの屋敷にほとんど帰ってこないため、息子に取って「おねえちゃん」は母親の次に親しく、安心できる存在のようだった。息子はいつもおれと会うと、「おねえちゃん、だいすき」と言って抱きついてくる。
「よくいらっしゃいました」
 屋敷に行くと、妻が1人で迎えてくれた。いつもは、妻の周りをまとわりつくように走り回っている息子の姿がない。もう寝てしまったのだそうだ。時計を見たら、9時を回っていた。おれの息子と遊んでやりたくてやってきたのだが、こんな時間では仕方がない。
「寝顔だけでも見させてくれ」
 そう言って、妻と息子の寝室に行った。おれの最愛の息子が、大きなベッドで天使のような寝顔で寝息を立てていた。おれは、眠っている息子に、そっと頬ずりをした。
 リビングに戻ると、妻がお茶を入れてくれたところだった。おれの前にはいちごのショートケーキ。妻の前にはザッハトルテが置かれていた。今日は「お茶会」の日だったようだ。
「1人で待っていたのか?」
「はい。きっと来てくださると思って、お待ちしておりました」
 昼間は、家政婦や子守役の若い女がいる屋敷だったが、夜になると皆帰ってしまって、妻と息子の2人きりになる。世界的大富豪の屋敷ということで、外には警備の人間が何人も常駐しているのだが、屋敷の中では、妻たち母子を守るようなことは何もしていない。万一、外の警備を突破されたときのために、屋敷の中にも警備室を設けておいたらどうかと言っているのだが、妻は聞き入れなかった。屋敷の中に他人が入り込むのをよしとしていないらしい。家政婦にしても、子守の女にしても、仕方なく雇っているという感じだ。
 妻は、様々な会社の役員として名を連ねてはいるが、ほとんど名前だけのものだ。この屋敷から出て仕事をするということはない。端から見たら、専業主婦にしか見えないだろう。
 妻が表立って何かするということは決してなかったが、この国の中枢に近いごく一部の人間には、妻が持つ力は、周知の事実として受け止められているようで、屋敷をしばしば各界の要人が訪れているらしい。
 彼らが妻の力にすがって何かをしようとしているのか、妻が彼らを利用しようとしているのかは、わからない。恐らく、両方だろうが、それは今のおれが知るべきことではない。おれが屋敷にいるときには、時々彼らに紹介されることもあったが、そのときだけは、将来、何かの役に立つこともあるのだろうと思って、彼らの顔と名前を頭の中に叩き込むようにしている。
「今日は、珍しく早く寝付いてくれたのです。天気がよかったので、庭を走り回っていましたから、疲れたのでしょう。8時前には眠くなったようで、そのまま寝てしまいました」
 テーブルを挟んでおれと向かい合った妻は、そう言った。
 妻は今年27歳になる。昔から年に似合わない落ち着きがあったが、ようやく、年齢がその雰囲気に追いついてきたという感じだ。息子と接しているときの妻は、いつもは慈愛に満ち溢れている優しい母親という感じだが、時には厳しく息子を躾ける教師でもあった。おれはというと、いつも、息子を甘やかし過ぎだ、と妻に叱られる。だって、仕方がないだろう。こんなにかわいいんだから。
 その妻も、こうして「お茶会」でお気に入りのザッハトルテを食べているときだけは、年相応、いや、もっと若い娘のような表情を見せる。多分、この嬉しそうな顔も、おれにしか見せない表情なのだろうとは思うが。
「それで、あの方の様子はいかがですか?」
 おれが屋敷にやってきて、妻とふたりきりになると、まずはこのことを訊いてくる。「あの方」というのは、女社長のことだ。
 おれは昨日、女社長のところに行っていたので、様子を聞きたがっているのだ。
 会社の経営は、小娘がうまくやっている。妻は、新しい会社の買収には手を貸すが、経営にはほとんど口を挟まない。それで、特に問題になるようなことは起きないだろう。
 順風満帆といった感じで、おれたちの息子が受け継いでいくべき資産は、日々増え続けている。
 そんな妻に取って、唯一の心配は、女社長だった。
 もちろん、妻と女社長は、ビジネス上でもっとも親密な協力関係にある。それを取り持っているのが、おれという養女の存在だ。両家の間でおれという娘をやりとりすることによって、いまやこの国を代表する2つの名家は、親族に準ずる関係となった。
 それに加えて、最近、両家の間柄を更に親密にする「事件」が起こった。
 女社長が妊娠したのだ。父親は、小娘だ。
 現在、小娘の子を身籠っている女が3人いるが、そのうちの1人が女社長なのだ。
 小娘が多くの「側室」に子を産ませることを許している妻に取っては、いまさら小娘の子を妊娠した女が1人増えたところで、どうということはないのだろうが、それが女社長だとなると、話は違ってくる。小娘の子を産む女たちは、能力はあっても、何の力も持たない女か、名家の出でバックに大きな力を持っていても、その女自身は何の能力もないか、どちらかだったのだ。だが、女社長の場合は、経営者としての高い能力を持っているし、自身、この国有数の資産家という力も持っている。単なる「側室」とはわけが違うのだ。
 そんな「危険な女」が、「会長」の子を身籠ったのだから、妻が警戒心を抱くのも当然だ。
「妊娠5ヶ月になったそうだ。さすがに周りからもわかるようになってきたから、向こうの会社の主だった人間には知らせることにしたと言っていた」
「こちらには、知らせがありませんが」
 妻は、言葉ではそう言ったが、不服そうな顔は見せない。
「おれが知らせるから、必要ないと思っているのだろう」
 おれがそう言うと、妻はふっと笑った。
「あの方らしいことです」
 女社長に取っては、「妹」であるおれは、自分側の人間なのだ。それが、元の主人のところへ時々遊びに行く。妻に何か知らせることがあれば、おれにそのことを話し、おれがそれを妻に知らせるというわけだ。女社長が妊娠したという話は、それが発覚したときに、「お姉ちゃん」から聞かされ、おれはすぐにそれを妻に話した。女社長の妊娠は、おれが聞かされた時点で、妻には周知の事実という認識のようだ。
 とはいえ、女社長は、おれを愛玩動物のようにかわいがってはいても、信用してはいない。元々、小娘は妻の使用人だったのだから、おれが妻の「侍女」である可能性が高いと考えているようだ。そのため、おれの元にはイケメン秘書を送り込み、常に監視の目を光らせている。おれを通じて妻に流される情報には、本当に重要な機密事項は含まれない。
 実際、女社長の妊娠という話も、妻に取っては、その話を聞く前から、予想できていたことだった。
 元々、女社長は、妻の呪によって、妊娠しない体になっていたのだ。女社長が妊娠したのは、妻が呪を解除したからだ。わざわざ呪を解除したということは、女社長に妊娠する気がある、ということなのだから、いずれは妊娠すると考えるのが自然だ。しかも、その子の父親は、小娘であるということも分かっている。小娘がいつ女社長を抱いたのかということも、小娘を通して妻には筒抜けだ。妻は、すべてわかった上で、女社長に小娘の子を産ませようとしているのだ。
 やがて、女社長が出産すれば、その子は、おれと妻の息子に取って、腹違いの弟か妹ということになる。この家は、いずれおれの息子が継ぐことになっているし、女社長の家も彼女が産んだ子が継ぐのだろう。ということは、将来、この国を代表する資産家の当主同士が、腹違いとはいえ、兄弟ということになるのだ。両家に取っては、これ以上大きな結びつきはないだろう。
 ただし、これは妻に取っても、賭けの要素を含んだ話だ。女社長が小娘の子を産むということは、小娘が死んだときに、その子が小娘の遺産の一部を相続するということだ。それは場合によっては、女社長に、この家の中に楔を打ち込まれるということになりかねない。対応を間違えると、女社長にこの家を引っ掻き回されて、最悪、乗っ取られるという可能性だってある。妻が、なるべく小娘が持つ資産を減らして、自分や息子のものとしているのは、それを防ぐためでもあるのだ。
 そういうこともあって、妻は、女社長の動向には常に気を配っている。
「それで、あの方は、出産後のことについては、何か仰ってましたか?」
「いや、特に何も」
 女社長は、今年34歳になるが、成長・老化を遅らせる呪によって、20代前半の肉体を維持している。最近では、妻と並ぶと妻の方が年上に見えるようになった。実際には女社長の方が7つも年長なのだが。
 妊娠するに当たって、妻はこの成長・老化を遅らせる呪も解除したようだ。この呪は体の成長・老化の速度を通常の3倍程度遅くする効果がある。生理なども3ヶ月に1度ぐらいしか来ないのだと、「お姉ちゃん」が言っていた。その状態で妊娠したりすると、妊娠期間が2年半にも及んでしまうため、仮に妊娠したとしても、出産はほとんど不可能なのだそうだ。そのため、妻はこの成長・老化を遅らせる呪も解除したということだ。
 女社長にはこの1年間、他人と同じ速度での老いが訪れることになるわけだ。彼女に取っては耐え難いことかもしれないが、子供を産んで、後継ぎを残すためには仕方がないことなのだろう。出産が無事に終わったときに、女社長が再び成長・老化を遅らせる呪をかけられることを望むのか、次の子供を生むために、今の状態を続けるのか、おれは女社長にそれとなく訊いてみたが、明確な答えは得られなかった。
「今日は、あの娘のところに行っていたのでしたね」
 妻が話題を変えた。取りあえず、女社長に関する話は、これで終わりのようだ。
「確か、自動車メーカーのテストコースで車を走らせるということでしたが」
「ああ酷い目に遭ったよ。レーシング仕様の車の助手席に乗せられて、物凄いスピードで走るんだからな。死ぬかと思った。横でおれが悲鳴を上げるのを聞いて、楽しんでるんだから困ったものだ」
「あの娘は、以前からそうでした。あの娘がまだその体にいたときも、軽自動車を猛スピードで走らせて、わたくしを怖がらせたものです」
「お前でも、怖がったりするのか?」
 おれは、妻の言葉が気になって、訊いてみた。
「それは、わたくしもか弱い女ですから。あなたさまと同じです」
 それを聞いて、おれは思わず笑ってしまった。釣られて、妻も笑う。広いリビングに若い女2人の笑い声が響いた。
「ですが、そろそろ、あの娘が運転する車に乗るのは、やめておいた方がよろしいかもしれませんね」
 おれは、妻の言葉を聞いて、愕然とした。
「おい、まさか、もう、なのか? まだ5年ぐらいは先の話だったんじゃないのか?」
 おれが気色ばんで言うと、妻は何事もなかったかのように笑みをたたえて言った。
「念のためです。通常ならば、あと5年は大丈夫でしょう。ですが、その間に小さいのが起きる可能性もあります。ほんの僅かな可能性でしょうが、危険を冒す訳にはまいりません。わたくしは、あなたさまを失うわけにはいかないのです」
 妻は、小娘に対しては、公道での車の運転を禁じて、サーキットやテストコースでのみ運転を許可するつもりだ、と言った。
「なあ、やっぱり、あいつは何も知らないんだよな」
「何か、あったのですか?」
 おれは、今日、小娘が言ったことを思い起こしていた。
「あいつは、おれのことを、あと10年経ったら、秘書にして、毎日抱いてあげてもいい、と言ってた。自分に10年先があることを信じて疑わないような口ぶりだった。――いいのか? 本当にあいつに知らせなくて?」
「あの娘に教えたからと言って、どうなるものではありません」
 妻は、平然として、そう言い放った。
 小娘の体――妻の呪によって、精力絶倫となった「おれ」の体は、今年で42歳になるというのに、30代半ばの若さを保っている。いや、30代なのは外見だけで、その絶倫ぶりや無尽蔵の体力は、10代、20代の体と言ってもいい。小娘は、この体の精力と体力を存分に使ってここまで来たのだ。
 だが、呪というものは、決して万能ではない。呪によって、何もないところから精力や体力が生まれてきたというわけではないのだ。力を得るには、必ず代償を支払わなければならない。一見、健康そのものに見える小娘の体だが、実際には、一生のうちに使う精力や体力を削りながら、今の絶倫振りを維持しているという状態だ。
「おそらく、50歳までは持ちますまい」
 7年前、おれが小娘と体を入れ替えたままで過ごす決心をしたとき、妻はそう言った。最近では、「あと5年、というところでしょうか」というのが、妻の見立てだ。小娘には、このことは一切話していないとのことだ。
 話すだけは話しておいた方がいいのではないかとおれが言うと、妻は、静かにこう言ったものだ。
「自分の死が近づいていることを知って、どうなるというのです? 近づいてくる死に怯えて生きるよりも、何も知らずに、その時まで全力で走り続けていた方が、本人に取っては、幸せなのではないですか?」
「そうかもしれないが、あいつの本来の年齢からしたら、30歳ぐらいまでしか生きられないということになるのだろう。何とかならないのか?」
「財産も学歴も頼るべき身寄りもない娘が、今や世界的大企業グループのトップの地位に就いているのですよ。やりたい放題、贅沢し放題の人生を送っているのです。太く短くの典型ではありませんか。あの娘に取っては、多少、寿命が短くなることなど、問題ではありますまい」
「だが、ここで呪を解除してやれば、寿命をいくらかでも延ばすことができるんだろう。そうしてやったら、どうなんだ」
「あなたさまはご存じないと思いますが、実は、何年か前に、今あなたさまが仰ったように、あの娘の呪を解除したことがあったのです。もちろん、寿命云々の話は伏せたままでしたが。あの娘は、1日とたたないうちに、もう1度呪をかけて欲しいと泣きついてきました。女を抱けない人生なんて、耐えられない。こんなことなら、死んだ方がましだ、と」
「……」
「ですから、あの娘の呪は、あの娘が死ぬまで、そのままにしておきます」
 妻が以前語ったところによると、最後のときは、突然やってくるのだそうだ。その直前まで、それまでと変わらずに動いていたものが、電池が切れたように動かなくなり、それですべてが終わる、と。
「最悪、他人を巻き込むような最期だけは避けなければなりません。公道で車を運転中だったりしますと、大事故の危険性があります。レーシングカーを1人で運転しているときなら、これも大事故ですが、他に車が走っていなければ、他の人の命に関わることはないでしょう。過去の記録を見ると、興奮状態のときに最期を迎えるということが多いようですので、側室の誰かを抱いているときにという可能性が高いかもしれません」
 と言うことは、おれを相手にしているときに、それが起きるかもしれないというわけだ。きっと、妻からは、その時が近づいたら、小娘に抱かれることも禁じられるのだろう。小娘の「娘」であるおれが「義父」の死の時に、同じ床にいるというわけにはいかない。
 あと5年の間――小娘が生きている間は、妻は、小娘に今までどおりの拡大路線で経営をさせるつもりのようだ。小娘には、ひたすら攻めの姿勢でグループを大きくすることを優先させる。
 一代で会社を大きくしてきた経営者に取って、もっとも難しいのは、攻めから守りに転じることだと言われる。小さな会社を急成長させた経営者ほどそれは難しい。彼らは、会社の急成長という強烈な成功体験を持っているために、失敗する感覚と言うのが掴めないでいるのだ。会社が永遠に成長し続けられるわけがない、ということは、頭ではわかっているのだが、過去の成功体験に基づいて経営を行なうため、「まだ行ける」「まだ大丈夫だ」と思っているうちに、手痛い失敗を被るというのがお決まりのパターンのようだ。そういうおれも、かつてはそのパターンに嵌りかけていた。妻と一緒になっていなかったら、きっとどこかで大きな失敗をして、折角大きくした会社を失っていたことだろう。
 妻は、小娘には、ひたすら拡大路線を取らせ、小娘がいなくなったら一転して保守指向で、それまでに築き上げたものを守っていこうと考えているようだった。小娘亡き後の体制も、かつての秘書室長、今のメガバンクの頭取をトップに据えて、実際には、彼女の上に妻自らが相談役というような立場で君臨する、という目論見でいるらしい。
「どちらにしても、まだしばらくは気にすることはありません。ですが、ほんの一瞬だけ意識が飛ぶというようなことがあるかもしれませんので、それが命取りになるような場にはおいでになりませんように」
 妻は、そう言って、おれにやんわりと釘を刺した。これで、残念ながら、次の休暇にアメリカへ行って、小娘に抱かれてくる、という計画は、泡と消えた。
 長期にわたって、呪をかけられていると、確実に寿命を縮めるというのは、何も小娘だけに当てはまる話ではない。中学生の頃から、もう20年も妻の呪を受けていた女社長も、同じく寿命を縮めている。
「仮に、今後も呪を受け続けるとすると、あの方も50歳までは生きられないのではないでしょうか」
 女社長が出産後のことについて明確な意思を示さないのは、このことが頭にあるからだろう。
 女社長は、小娘とは違い、呪と寿命の関係について、知っている。
 かつての彼女であれば、自分の寿命を縮めてでも、若く美しい姿でいることを取った筈だ。年を取ると共に、自分の容色が衰えていくというのは、彼女にとっては許しがたいことだろう。
 だが、実際に妊娠してみて、彼女の心が動いているようなのだ。もしも、再び妻の呪を受け入れた場合、女社長に残された寿命は15年というところだ。つまり、自分が産む子供が10代半ばという年齢になるまでの間しか、自分は生きていることができない、ということだ。
 それに対して、出産後も、妻の呪から離れて、通常の時の流れを受け入れれば、それから更に5年以上は余計に生きられるという。せめて、自分の子供が成人するまでは、生きていることができるというわけだ。だが、その場合、自分の体が、30代、40代と歳を重ねていくことを受け入れなければならない。最終的に、彼女がどんな判断を下すのか、それは、彼女が実際に子供を産んでみるまでわからないと思う。子供を産んだときに、彼女が母親でいるのか、女でいるのかによって、彼女の選ぶ道は異なってくるのだろう。
 おれと妻は、「お茶会」をしながら、そんな話をしていた。おれの目の前のショートケーキは、いちごとその周りのケーキ部分だけが残っていた。
「おかあさん」
 突然、リビングのドアが開いて、声がした。そこは小さな男の子が立っていた。右手に枕を抱えて、眠そうに目をしょぼしょぼとさせている。おれたちの息子が起き出してきたのだ。今日は寝るのが早すぎて、すぐに目が覚めてしまい、目が覚めたら隣に母親がいなかった、ということのようだ。
 息子は、妻の方に寄って行こうとして、おれの姿を目に留めた。
「おねえちゃん?」
 おれと息子の目が合った。
「おいで」
 おれが笑顔になって両手を広げると、息子は、抱えていた枕をその場に落として、おれの方に駆け寄ってくる。最後のところで躓いて、倒れそうになったが、何とかおれが腕を伸ばして抱き止めた。
「もう、気をつけないと危ないでしょ」
 おれは、そう言って息子を抱え上げて膝に座らせた。息子の方は、転びかけたことなど忘れてしまったかのように、おれの膝の上で動き回っている。ああ、なんてかわいいのだろう。
 時々、息子はおれのふくらんだ胸をつかんで、揉んだりする。おれも小さいときにはよくそうしていたらしいから、このあたりは、おれの血を引いている、という感じだ。幼児に胸を触られただけだというのに、おれは不覚にも、気持ちいいと思ったりした。
「どうしたのですか? お布団にいる時間ですよ」
 妻が言うが、息子は「だって」と、もじもじしながら、下からおれの顔を覗き込んだ。ほんと、食べちゃいたいくらい、かわいい。こんなかわいい顔で見られたら、助け船を出してあげないわけにはいかなくなる。
「少しだけ、おねえちゃんといようか。そしたら、一緒にお布団に行こう」
「ほんと?」
「うん。おかあさんにお願いしてごらん。おねえちゃんも一緒にお願いしてあげるから」
「おねえちゃん、だいすき!」
 妻は、おれと息子のやりとりを苦笑いしながら見ている。また後で、おれは息子に甘過ぎるとお小言をもらうことになりそうだ。
「あっ、ケーキだ!」
 おれの膝の上で動き回っていた息子が、テーブルの上に残っている食べかけのケーキを見つけた。息子は、しばらく、ケーキを見つめていたが、やがて振り向いて、物欲しそうな顔でおれの顔を見た。
「おねえちゃん、このケーキ、残ってるよ」
 天使のようなあどけない顔で攻撃された。こうなっては、おれなどひとたまりもない。
「食べる?」
 ああ。息子のかわいらしさの前では、このおれが、食べかけのケーキをあげてしまうという考えられないような行動に出るのだ。しかも、ショートケーキのまだいちごが載っている部分をだ。
「食べていいの?」
 恐る恐るといった感じで、息子が言った。おれが「いいよ」と言おうとした瞬間に、妻の声がぴしゃりと飛んできた。
「いけません」
 その声に息子の体がびくりと硬直する。その姿もかわいい。要するに、おれに取っては、息子は何をやってもかわいくて仕方がないのだ。
「そのケーキは、おねえさまのですよ。あなたのものは、昼間食べたではありませんか」
 息子は、妻に怒られて、下を向いている。何か言いたそうだ。
 きっと、一旦布団に入って、再び起き出してきた息子に取っては、ケーキを食べたのは、昨日のことなのだ。そういうことを言いたかったのだろうが、母親の前では何も言えないようだった。
「それに、寝る前にケーキを食べたら、また歯磨きしないといけませんよ」
 そう言われると、息子は顔を青くして、少し震えてみせた。息子は歯磨きが大嫌いなのだ。このあたりも、おれの小さいときとまったく同じだ。結局、おれは残ったショートケーキを1人で食べたが、いちごだけでもあげようか、と言ったのに、息子はぷるぷると首を振って、「いらない」と言った。よほど歯磨きが嫌らしい。
「今日は、おねえちゃんと寝ようか」
 少し遊んであげた後に、おれは、息子にそう言った。
「ほんと?」
「ほんとだよ」
 息子は妻の方を見る。
「おかあさん、いいの?」
「いいですよ」
 妻がそう言うと、息子は妻の方をじっと見て、こう言った。
「おかあさん、さみしくない?」
「ちょっと寂しいですが――」
 そう言いながら、妻がこちらへ寄ってきた。おれの膝に座っている息子に顔を近づけ、軽く抱きしめると、そっと頬ずりをした。
「これで寂しくないですよ。さあ、おねえさまと一緒におとなしく寝るのですよ」
「うん」
 おれは、息子と手をつないで、寝室へと歩いて行く。大きなベッドに息子と一緒に横たわった。
「いつもは、おかあさんと一緒に寝るの?」
「うん」
 おれには甘やかすなと言いながら、結局のところは、妻も息子のことがかわいくて仕方がないのだ。もう6歳になるというのに、子供を自分と同じベッドで寝かせている。きっと、片時も手元から離したくはないのだろう。
 だが、今日だけは、息子の隣で寝るのは、おれなのだ。おれは、今夜一晩、息子を独占することができて、嬉しくて仕方がない。
「今日は、おかあさんと一緒じゃなくて、寂しくない?」
「さみしくないよ。おねえちゃんがいっしょだもん」
 おれは、そう言った息子を自分の方に引き寄せて抱きしめた。おれのふくらんだ胸のところに息子の手が当たった。
「おねえちゃんのこと、好き?」
「うん」
「どのぐらい?」
「すごいすき」
「おかあさんよりも?」
 そう言ったら、息子は「うーん」と考え込んだ。やっぱり、母親には適わないらしい。
「じゃあさ、大きくなったら、おねえちゃんをお嫁さんにしてくれる?」
「いいよ」
「ほんとにいいの?」
「おかあさんも、おおきくなったらおねえちゃんをおよめさんにするんだよって、いってるよ」
「じゃあ、おねえちゃん、大きくなるのを待ってるね」
 おれは、そう言って、もう一度息子を抱きしめながら、7年前に妻が言っていたことを思い出していた。
 あの日――おれが元の体に戻るか、この小娘の体に留まるか、決断を迫られていたあの日、妻は、おれにこう言ったのだ。
「わたくしが身籠っている子は、男の子です」
 おれは、妻が何を言いたいのか、わからなかった。きょとんとしているおれに向かって、大きくなりはじめたおなかをさすりながら、妻はこう続けたのだ。
「この子が大きくなったら、この子の妻になっていただけませんか?」
 おれにはまだ、妻が言っていることが理解できなかった。
「あなたさまには、この子の妻となって、この子を支えていただきたいのです」
 そのとき、おれが聞いた話はこうだ。
 おれと体を入れ替えた小娘の体――つまり、元々の「おれ」の体は、このまま精力絶倫となる呪をかけ続けていると、そんなに長くは持たない。10年から15年がいいところだろう、と。だから、おれと妻との間にできた息子は、成人するよりもはるか手前で、父親を失うことになる。
 もちろん、小娘がいなくなっても、妻がいれば、この家は揺るぎない筈だ。小娘がいなくなった後は、対外的にも、妻が当主となって、おれたちの息子のためにこの家を守っていけばいい。
 だが、その妻も、息子を守っていける時間は限られているのだという。
「呪という異能の者を定期的に輩出するこの家が長く栄えたことがないのは、その当主が皆、若くして死んでしまうからなのです」
 呪を浴びたものは、寿命を縮めるというのが理なのと同じように、呪を使う者もまた、呪を使うことによって命を削っているのだという。
「この屋敷を建てた初代の伯爵は、38歳で亡くなりましたが、これは、当家に残る記録では、呪の力を持ったものとしては最長寿であったようです」
 過去にこの家に現れたほとんどの能力者は、30歳に達することなく没しているということだ。初代の伯爵が38歳まで生きながらえることができたのは、それまでに比べて、医療技術や衛生状態、食糧事情が好転したためだろうと妻は言った。
「わたくしは、小さい頃から健康には人一倍気をつけてまいりました。自分がそれほど長くは生きられないことは分かっていましたので、短い命を少しでも長くしようと努力を怠らなかったのです」
 妻が言うには、幕末維新の時代よりも更に医学や衛生状態が好転した現代なら、40歳以上まで生きることが可能だということだが、どんなにがんばっても、50の声を聞くことは無理だということだった。
「わたくしは、早く結婚して、早く子供を産む必要があったのです。20代の前半のうちに子供を産みませんと、その子が成人するまで生きていることが難しくなりますから。ですから、高校を卒業したときも、4年制の大学へ行くことはあきらめました。短大に行って、卒業したら結婚するということに決めていたのです」
 しかし、おれと妻の子は、成人したといっても、20歳をいくつも過ぎない年齢で、両親と死別することになってしまう。まだまだ当主としてやっていくには、未熟すぎる年齢だ。せめて、30歳ぐらいまではこの子のことを親身になってくれるような人間についていてもらいたい。
「この家の歴史は、能力者が家を興し、その子供や孫が没落させるという繰り返しでした。その最大の原因は、能力者が早世してしまうため、残された幼い子供では家を守っていけない、ということにありました。ですから、わたくしがいなくなってしまったときに、まだ若いこの子に代わってこの家を守ってくださる方がどうしても必要だったのです。その方は、他人というわけにはいきません。親戚でも駄目でした。わたくしの一族には、この子の将来を託すことができる者は、残念ながら、1人もおりませんでした。わたくしが求めていたのは、心の底からこの子のことを想い、この子のためには命も投げ出してくれる方です。わたくしには、そのような方は、この子の父親であるあなたさま以外には思いつきませんでした」
 妻は、「おれ」という存在を2つに分けようとしたのだ。1つは、社長として会社を大きくしていき、表向きの当主として側室たちに息子の家臣となるべき子供たちを産ませる存在。もう1つは、息子の父親として息子に無償の愛を注ぎ、息子を守ってくれる存在。「おれ」という人間を、体と心に分離させて、心の方は小娘――息子と共に、より長く生きていられる肉体に入れたのだ。
 結局、おれは妻の願いを受け入れた。
 残りの生涯を、小娘の体で過ごすことを選択した。
 会社のことは小娘に任せて、おれはその日からおれの息子の妻となるための花嫁修業を始めたのだった。
 おれが、女社長の「妹」として養女に入ったことも、恥ずかしい思いをしながら女子高に通ったことも、おれの女らしさを磨くためのことだ。小娘やイケメン秘書やその他大勢の男たちに抱かれるのだって、セックスのスキルを磨いて、おれの息子をおれの虜にするためだ。――いや、まあ、そのためだけ、というわけでもなかったのだが。
 もちろん、妻に成長・老化を遅らせる呪をかけてもらっているのも、若さを保って、息子と似合いのカップルになるためだ。
 おれの息子は、小娘の体が19歳のときに生まれているので、この子が18歳――法的に結婚できる年齢――になる頃には、小娘の体は37歳になってしまう。いくら成長が遅れている小娘の体とはいえ、18歳の男の子が30代の熟女を気に入ってくれるとは思えない。そこで、妻に呪をかけてもらったのだ。
 妻の呪を受けたおれの体は、3ヵ月半に1度ぐらいしか生理がやってこない。女社長の場合は、3ヶ月に1度という周期らしいから、若干の個人差があるのだろう。元々、小娘の体は成長が遅れていて、高校を卒業したというのに、中学生ぐらいの体でしかなかった、ということも関係あるのかもしれない。いずれにしても、妻の呪によって、おれの少女の体は、3年半で1歳分しか歳を取らないようになった。おれがこの体になった頃が、実質14、5歳の体だったとすると、あれから7年経った今が16、7歳。今のおれは、確かに見た目は女子高生ぐらいなので、その通りなのだろう。このペースで行くと、息子が18歳になる12年後には、おれは20歳ぐらいの体になっているはずだ。それならば、ちょうど息子とも釣り合いの取れた似合いのカップルになれるだろう。
 息子の18歳の誕生日に、おれと息子の結婚式を盛大に行なうということは、既に決まっている。
 当然のことながら、おれは、女社長の妹として、この家に輿入れすることになる。
 女社長がおれのことを「妹」とする際に、わざわざ父親の養女としたのも、おれという娘がこの家の後継ぎの許婚だったからだ。そうではなくて、その辺の普通の娘であれば、いくらおれのことが気に入っていたからと言って、養女などにはせずに、単なる「姉妹ごっこ」で終わっていたことだろう。養女にしたおれが嫁いで行くことによって、2つの家は親族となり、より一層親密な関係を築いていけるのだ。
 これから女社長が産む子に取っては、叔母が兄と結婚するということになるわけだが、こういった力を持った家同士の関係は、血縁や婚姻によって、何重にも結び付けておくことが不可欠なのだろう。結局のところ、気ままに生きているように見える女社長も、妻と同じように、一族の命運をその小さな肩に背負わされているのだ、ということが、最近ようやくわかるようになった。
 そのことを理解したとき、おれは、妻が1つだけおれに嘘をついていたということに気が付いた。
 あれは、7年前、おれと小娘が一旦元の体に戻っていたときのことだ。元の体のおれと小娘は、女社長を怒らせてしまい、委任状の取り下げという危機的な事態を招いてしまった。あのとき、妻は女社長に言うこと聞かせることができる駆け引きの道具のようなものは、何も持っていない、と言った。
 あれは嘘だ。
 妻は、女社長にかけていた2つの呪――成長・老化を遅らせる呪と妊娠しなくなる呪。委任状を破棄したら、この2つの呪を解除すると「脅し」をかけたが、女社長はそれでも構わない、と妻の「脅し」を突っぱねた。その結果、妻は手詰まりとなり、おれと小娘はもう1度体を入れ替えるしかなくなった。おれと小娘が、入れ替わった姿で女社長の機嫌を取り結ぶことによって、女社長は委任状破棄を撤回し、おれの会社は救われた。そして、結局おれたちは、そのまま元の体に戻らないという道を選んだ。
 だが、あの時、妻には、もう1つだけ「脅し」の材料があった筈だ。妻は、女社長に対して、こう言えばよかったのだ。「もしも委任状を破棄するのであれば、あなたにかけた妊娠しなくなる呪を一生解除しない」と。
 女社長には、子供を産む必要があるのだ。1人娘の彼女には兄弟もいないので、彼女に子供がなければ、彼女の家が蓄えた莫大な資産は、彼女に取っては他人同然の親戚の手に渡ることになる。そうならないために、彼女は、いつか自分の子を産む必要があったのだ。
 だから、あのとき妻が妊娠しなくなる呪を切り札として使っていたら、おれと小娘が再び体を入れ替えなくても、委任状破棄などという暴挙をやめさせることができた筈なのだ。
 恐らく、妻はこの切り札を使っていたに違いない。それどころか、「委任状破棄」という話自体が、女社長の癇癪によって引き起こされたものではなく、妻が女社長をけしかけてやらせていたという可能性もある。
 何のためにそんなことをする必要があったのか?
 もう一度、小娘と体を入れ替えると、おれの口から言わせるためだ。
 元々、おれが小娘と体を入れ替えられたのは、おれが小娘を犯したことに対するペナルティだった。こちらから望んだ話ではない。だが、妻としては、最終的に、おれと小娘の体を入れ替えたままにしておきたかったのだ。将来、おれを息子の妻にするために。そのために、女社長を動かして、おれが自分の意思で小娘と体を入れ替えるように仕向けた。そう考えることもできる。
 妻と女社長の関係は、実は、おれが思っていたような対等の関係ではなくて、妊娠しない呪をかけることによって、妻が女社長を支配するような関係になっていたのかもしれない。きっと、女社長は、若気の至りで、セックスを自由に楽しみたくて、軽い気持ちで妊娠しない呪をかけてもらったのだろう。だが、そのために、妻に首根っこを抑えられてしまった、という可能性はある。
 女社長が、ようやく最近になって妊娠したということは、ついに妻の呪から解放されたということなのだろうか? いや、妻のことだから、1度手にしたアドバンテージをそう簡単に手放すことはないはずだ。ひょっとしたら、とうに女社長は妻の「侍女」となっていて、「侍女」になる代わりに、妻から妊娠して後継者を産むことを許されたのかもしれない。もしもそうだとすれば、これから女社長が産む子も、おれたちの息子に取っては、家臣のような存在になる筈だ。しかも、これまで生まれた弟や妹たちとは桁違いの財力を持った家臣だ。もしもそうなら、息子の代になっても、この家の力を保持していくために大きな働きをしてくれるに違いない。
 だが――。
 あの女社長が、そう簡単に妻の軍門に下るだろうか?
 女社長が、妻の前で頭を下げている姿など、おれには想像できない。いざとなれば、「呪を解除しないなら、それでも構わない。自分の後継者は、自分の気に入った子を探して、その子を養子にする」ぐらいのことは言ったかもしれない。
 どちらにしても、あの2人のことなので、両者共倒れになるような不毛な争いはしないだろう。きっと、どこか落としどころを見つけて、そこで手を打った、という可能性が高い。それがこの時期になっての女社長の妊娠ということになったのかもしれない。
 恐らく、おれが訊いたところで、どちらも本当のことを喋るとは思えないが、いずれにしても、おれの息子に取って、そう悪くない状況になっているのだろうとは思っている。少なくとも、妻は息子の将来に禍根を残すようなことは、徹底的に排除するに違いないからだ。
 7年前に、妻がおれに嘘をついていたかどうかということは、今となっては、どうでもいいことだ。最終的に、おれは自分の意思でこの体でいることを選択したのだ。その選択は間違っていたとは思わないし、後悔もしていない。
 この体になったことで、将来、おれは最愛の息子に抱かれることもできるし、息子の子供を産むこともできるのだ。どんなに子供のことを愛している親でも、その子供の子を身籠ることができる親など、他にはいないだろう。おれには、それが可能なのだ。
「おねえちゃん……」
 息子の声がした。寝言のようだ。いつの間にかおれの息子は寝てしまったようだ。おれは、息子のかわいらしい寝顔を、うっとりと見つめた。
 この子が18歳になるまで、あと12年。結婚するのは、その時だが、それまで待つつもりは、毛頭ない。
 15歳か16歳になったら、おれは息子のはじめてをいただくことに決めている。その頃のおれの体は、息子よりも3、4歳年上の「お姉さま」。それまでに蓄えたおれの女としてのすべてのテクニックを使って、息子をリードしてやろう。それと同時に、息子のテクニックをおれが鍛えてやろう。
 もちろん、中学生から高校生の男の子としては、あまり「お姉ちゃん」にべたべたされるのは嫌なものだろうから、ある程度はこの子の好きにさせてやってもいい。多少なら、別の女の子と付き合うのも許してあげる。大人になったときに、おれ以外の女を知らないというのでは困りものだからだ。もちろん、付き合っている女が妊娠してしまわないように、妻に呪を施してもらうのを忘れてはいけない。
 高校までは自由にさせてもいいが、高校を卒業して、大学に行くようになったら、おれ以外の女と付き合うのはやめさせないといけない。3月生まれの息子は、大学1年生になる直前に18歳を迎える。そうなったら、おれと結婚式を挙げるのだ。おれは結婚と同時に、妊娠しなくなる呪も、成長・老化を遅らせる呪も、解除してもらう。そのときのおれは、20歳ぐらいの姿だろう。それから先は、息子と同じ時を歩んでいく。それからのおれの仕事は、息子に抱かれて、1日でも早く、息子の子――この家の次の当主を産むことだ。
 妻は、その頃には、あと何年生きられるかわからない状態だろう。とにかく、妻に孫の顔を見せてやる、というのが、おれの役割だと思っている。この家では、呪の力を持った能力者で、孫の顔を見られた者はいないというが、妻には、それだけは叶えさせてやりたい。
 妻が死んだとき、小娘はとうにこの世にはいない筈だ。後に残されるのは、おれと息子だけ。その頃の息子はは、恐らく20代の前半。まだ大学生かもしれない。この家を背負っていくには若すぎる。妻であるおれが、息子を教育しつつ、この家を、巨大企業グループを維持していかなければならない。
 おれは、そのときのために、経営についての勉強を始めている。ただし、おれが昔やっていたことは、恐らく何の役にも立たない。あれは、小さかった会社を大きくしていくという経営だ。未来のおれに必要なのは、巨大な企業グループを維持していくことだ。個々の会社の業務について精通していなくてもいいし、企業グループをそれ以上大きくする必要もない。妻や小娘が作り上げたものをあまり減らすことなく、息子に引き継いでいくこと。息子をおれと同じように巨大企業グループを維持していける経営者に育て上げること。そして、できることなら、おれが産む息子の子供たちに、息子と同じ教育をすること。これが、おれに託された仕事のすべてだ。
 ただし、おれに与えられた時間も限られている。
 息子と結婚するその日まで、20年もの間、呪を受け続けることになるおれの体も、寿命を大きく削り取られている筈だ。妻の見立てでは、おれの寿命は、息子と結婚してから10年ちょっとというところらしい。
 その10年と少しの間に、おれは、息子との間に、1人でも多くの子を設けなければならない。
 好色なおれの血を引いた息子のことだ。きっと、おれ以外にも愛人を作り、外で数多くの子を産ませることになるのだろう。もちろんそうやってできた子も、息子の子なのだから、おれの孫、ということになるのだが、できることならば、この家を受け継いでいく息子の子は、おれが産みたいと思っている。
 数百年という時を経て、妻の血を引いた誰かに、呪の能力が発現する。呪の力を持った者が一族に生まれた場合、その者が傍流の者であろうが、妾腹の者であろうが、一族の当主となる。妻の血を引く子は、おれとの間にできたこの子だけだから、必然的に、将来生まれるであろう能力者はおれの血を引く者ということになるのだが、どうせならば、その中でもおれが腹を痛めて産んだ子の子孫であって欲しい。その確率を少しでも高めるために、おれは1人でも多くの息子の子を産まなくてはならない。
 おれは、眠っている息子を抱きかかえて、小さな頭をなでてやった。
 この子はおれに似て、逞しい男性に成長することだろう。そう。ちょうど今の小娘のような。
 今はまだ小さなこの子が、やがて大きくなって、おれを抱いてくれることを想像すると、おれは、体が熱くなってくるのを感じた。
 おれは、息子の手を取って、おれの程よくふくらんだ胸に押し当てた。少し硬くなった乳首に触れると、ほのかな快感が湧き上がった。
 きっと、この子に抱かれたとき、おれはそれまで感じたことがないような快感を感じることができるのだろう。女は、愛する人に抱かれたときには、特別に感じるものなのだ。この子は、おれに取っては最愛の息子であり、将来は、最愛の夫になる。その日が今から待ちきれない。
 夜は更けている。
 妻は、どこか別の部屋で休んでいるようだ。
 寝室には、おれと息子の2人だけだ。
 おれの耳元で、息子が寝息を立てていた。
「早く、大きくなって、あたしを抱いてね」
 おれは、少女の声でそう言うと、かわいらしい寝顔の息子の頬にそっとキスをした。


-完-








テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》 - ジャンル : 小説・文学

コメント

この話は大好きです

こんなところにアップしてくれていたんですね。
某サイトでこのお話が連載していたときには楽しみにしていました。その後、ここにアップするのを楽しみにしていたのですが、時のすぎるのは早いもので、あまり、来ていませんでした。久々にきてみたら、あるじゃないですか。

やっぱりこのお話は面白いと思います。

作者さん、今後も新しいお話を更新しくてださいね

最高でした。
そうとしか言いようがないくらいに、自分の好みにドンピシャのお話でした。

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