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反転 前編

 放課後の誰もいない教室。
 窓際の席に1人の少女がぽつんと座っていた。
 その日、生徒会の仕事を終えたぼくは、置きっ放しにしていた鞄を取りに教室に戻ってきたところ。もちろん、教室には誰もいない。日も暮れかけたこの時間では、運動部の連中も、そろそろ店じまいの時間だ。鞄を持って、帰途に就こうとしたぼくは、隣のクラスを何気なく覗いてみて、この少女の姿を見つけたのだ。
 窓の外は夕焼けに赤く染まっていた。彼女の姿はシルエットになっていて、顔がよく見えない。
 でも、ぼくには、それが誰だか、なんとなくわかった。
「ユウ――なの?」
 ユウというのは、ぼくの親友のユーイチのことだ。
 はじめてこいつと会ったのは、小学校3年生のとき。たまたま同じクラスの隣の席で、仲良くなった。以来、中学、高校と、大半の学年を同じクラスで過ごしてきた。今は、隣のクラスだが、昼休みはいつもユウと一緒に弁当を食べているものだから、「お前ら、できているんじゃないか?」とクラスメイトから冷やかされたりしている。
「トモキか。今日も遅かったな」
 ユウが言った。すごく、かわいらしい声だった。
「生徒会の役員なんて、やめちゃえばいいのに」
「そうもいかないよ。折角、ぼくを指名してくれたんだし」
「暇そうだったからだろ」
「まあね」
 ぼくは、生徒会の役員というのをやっている。生徒会長は選挙で選ばれるんだけど、その他の役員は、先生が各クラスから適当に選出する。部活に入っていなくて、暇な生徒。そして、何より、真面目、というよりも、おとなしそうな生徒が選ばれる――らしい。生徒会の役員なんて、実際には雑用係みたいなものだから、とユウは言っていた。暇でおとなしそう。確かに、どちらも僕に当てはまっていた。
「待っててくれたの?」
 ぼくは、教室に足を踏み入れて、シルエットに近づいていった。近寄ると、彼女の顔がぼんやりと見えた。彼女が、そのとき何をしていたかも。
「う、うわっ」
 ぼくは、咄嗟に顔を背けた。
「な、何やってるんだよ」
 ユウは、制服のブレザーの前を肌蹴て、その細い手を服の中に突っ込んでいた。ブレザーの下の白いブラウスの間から、丸くて柔らかそうなふくらみが見えた。咄嗟に顔を背けたぼくだったけど、ほんの一瞬の間に、ユウの手がシャツの奥で、もぞもぞと動いているのを見てしまった。そして、そのときのユウの顔が、飛び切りかわいくて、気持ちよさそうだったことも。
「何、照れてるのさ。親友だろ?」
 ぼくが後ろを向いていると、背中でユーイチが言った。男口調だけど、声は女の子のものだった。かわいいだけじゃなくて、ちょっとセクシーな息遣い。
「し、親友の前で、そんなことするなよ」
 ぼくの声は少し不機嫌になる。
「相変わらず、トモキはマジメだなあ」
「だって――」
「まあ、いいか。今日は初日だし、この程度で我慢しよう」
「え?」
「いや、こっちの話。――ちょっと待ってろ。今、ボタン留めてるところだから。まだ慣れてないから、大変なんだよ。リボンとかつけるのも面倒だし。こっち見るんじゃないぞ」
 ユーイチがかわいい声でそう言った。 
「見ないってば」
 ぼくは慌ててそう言う。多分、今のぼくは真っ赤になっていると思う。
「ほら。もういいぞ、振り向いても」
 ユーイチの声に振り向くと、ぼくの目の前に、制服のブレザーをきちんと着こなした美少女が立っていた。面倒だと言っていた胸元のリボンがワンポイントになっている。高校生にしては、ちょっと幼い顔立ちだけど、ぼくが今まで会ったこともないぐらいかわいい子だった。さっきまで肌蹴られていた胸は、制服の下に隠されていたけど、ブレザーの胸元がぷっくりと膨らんでいるのが、服の上からでもはっきりとわかる。ぼくの目は、そのふくらみに釘付けだった。
「――」
「な、何だ? どこ見てんだよ」
 ぼくが無言でユーイチの胸元を見つめていたら、今度はユーイチが慌てて言った。
「ご、ごめん」
 ぼくは、また後ろを向いた。しばらく、無言が続いた。
「なあ」
 少しして、ユーイチが話しかけてきた。ぼくは、背中を向けたまま。ひょっとしたら、ユウの奴も向こうを向いたまま喋っているのかもしれない。
「トモキ、今、オレの胸を見てたろ」
「――見てないよ」
「嘘つけ。顔が真っ赤だぞ」
「それは、夕陽のせい。それに、そこからだと、ユウはぼくの顔、見えないじゃないか」
 ぼくがそう言うと、ユーイチは「そりゃそうだ」と笑った。笑い声も、かわいらしい少女のものだった。
「あのさ、オレ、今、Cカップなんだ」
 ハア? こいつ、いきなり何言い出すんだ?
「今、つけてるブラは、Cなんだけど。ちょっときついんだよな。締め付けられる感じがして。最初はそんなにきついとは思わなかったのに。たった2時間で成長したってことなのかなぁ」
 ユーイチは、自分のつけているブラジャーの話を、新作のゲームの話でもするみたいに語った。ぼくは、真っ赤になって、無言でいるしかなかった。
「デザインも結構かわいい奴で気に入ったんだけど、この分だと、明日にはDになってそうなんだよなぁ。そりゃあ、CよりもDの方がいいに決まってるんだけど、あんまり大きいのは、かわいいブラとかないって言うじゃない。トモキ、お前、どう――」
「あ、あのさ!」
 喋り続けるユーイチを遮るように、ぼくは大声を出した。ユーイチの言葉が途切れた。
「ユウ。ひとつ、訊いてもいいかな」
「う、うん」
 ユーイチが短く言う。短い言葉だと、本当に女の子が喋っているみたいだ。
 ぼくは、ユーイチの方に向き直って言った。
「ユウは、どうして女の子になっているの?」
「え?」
 ユウは、呆気にとられたという顔をしていた。
「トモキ、今の、本気で訊いた?」
「本気でって?」
「だから、オレが女の子になっているのがおかしいって、本気で思っているの?」
 何を言うんだろう、コイツは。ユーイチは、ぼくの親友なんだから、男に決まってるじゃないか。
「だって、今日の昼休みに一緒に弁当食べたときは、男だったろ。制服だって、今みたいな女子用じゃなくて、ちゃんと、男子用――」
 あれ? 何か、変だ。
 今、ユーイチが着ているのは女子用のブレザーなんだけど、うちの学校って、男子校だぞ。女子用の制服なんて、存在しない筈なのに。でも、コイツが着ているブレザーには、確かにウチの高校の校章が入っているから、正規の制服に違いないわけで……。
「うわあ、何だよ、これ。完璧だって筈だったのに、最初からダメじゃん。やっぱり、トモキは、付き合い長過ぎるから効きにくいのかなぁ。それとも、昼休みに一緒に弁当食ったのがまずかったのか。そう言えば、コイツ、オレの残した弁当食ってたもんなぁ――」
 ぼくの頭が疑問符だらけになっているとき、少女の姿のユーイチは、かわいらしい頭を抱えて、意味不明の言葉を発していた。
 そうだ。そもそも、ぼくは、このかわいい女の子がどうしてユーイチだってわかったのだろう? この愛くるしい姿には、どこにもユウの面影なんて残ってはいないのに……。
「こうなったら、しょうがないか。これ、あんまり使わない方がいいって話だったけど、初日から使う羽目になるとは――」
 相変わらず、ユーイチの言うことは、要領を得ない。
「なあ、ユウ。これ、どういうことなんだ? ぼくにわかるように説明してよ」
「わかった、わかった。そう急くなって」
 ユーイチは、そう言うと、ぼくの目の前にやってきた。いつの間にか、ぼくよりも5センチは高かった筈の身長も、ぼくを見上げるぐらい小さくなっている。
「トモキ、よく聞けよ」
 ユーイチは、鼻先がくっつくぐらい、ぼくに近づいて、そう言った。
「これは、『反転』って奴なんだよ」
 『反転』……。
 その言葉は、ぼくの胸にすうっと入ってきた。なんだか、その言葉ひとつで、さまざまな疑問が氷解していくような気がした。
「ああ。なんだ。そうだったのか」
「そうそう。そういうこと」
 ぼくの前で、美少女が困った顔で作り笑いを浮かべている。
 ユウの奴、何をそんなに困っているのだろう?
 まあいい。なんだか知らないけど、おかげで、ぼくの頭はすっきりした。そもそも、何を悩んでいたんだっけ?
「そうだ、ユウ。言い忘れてたんだけど」
 ひとつ、思い出したことがあった。これだけは、ユーイチに言っておいた方がいいだろう。
「な、何?」
「ユウも、女の子なんだから、男の前で、下着の話とか、しちゃダメだよ」
「え? あ、ああ。そうだね」
 ぼくが小言を言うと、ユウはまた、夕陽に染まった顔で作り笑いを浮かべた。


 このところ、毎日のように生徒会の仕事がある。文化祭を来月に控えているせいだ。クラスや部活ごとの本格的な準備は来月に入ってからだけど、生徒会はその下準備ということで、今から結構忙しい。
 今日は、各クラスの催し物が報告されてきて、企画に問題がないか確認したり、同じ企画のところを調整したりという会議だった。
 ウチの学校は、いまどき珍しい男子校。校是が質実剛健なんていう「いつの時代だ」と突っ込みたくなるような古めかしい学校だ。だから、文化祭の出し物も生徒会や職員会議で審査があって「校風にそぐわない」という理由で却下されることも珍しくない。ありきたりな喫茶店なんてのではまずダメで、模擬店にするなら、本格的にお茶を点てるとか、手打ちうどんでも出すとか、器や内装に凝るとか、ひと工夫ないと通らない。そのため、どのクラスにも模擬店は敷居が高く、結局、研究発表的な物に流れてしまって、ただでさえ地味な男子校の文化祭が、余計に地味になっている。
 この日も半分近くのクラスが審査ではねられ、いくつかのクラスは内容を吟味した上で再提出ということになった。審査を通って出し物が決まったクラスは、半分に満たない。
 その承認された半分弱の中に、ユーイチのクラスが入っていた。出し物は、メイド喫茶。これは大変そうだ。審査のときも、どうせやるなら、衣装もちゃんと揃えて、本格的なものを目指すように、と注文をつけられていた。男子校でメイド喫茶なんて、かなりチャレンジングな企画だと思うが、ウチは、困難に挑戦することを評価する学校なので、その心意気や良し、と激励されていた。
 ――。
 ちょっと待った。
 メイド喫茶はまずいだろ。
 ウチの校風と正反対だ。そんなチャラチャラした企画に、どうして誰も反対しなかったんだろう? 反対どころか、このクラスにはきれいどころがいるから、楽しみだなんて言われてたぞ……。
 あ、そうか。考えてみたら、このクラスには、ユウがいるんだよな。確かに、ユウだったら、メイド服も似合いそうだ。
 ぼくはそんなことを考えながら、生徒会室から教室に戻る廊下を歩いていた。
「ユウ?」
 ぼくは、自分の机から鞄を持ってきて、隣の教室の戸を開けた。
 このところのユーイチは、放課後はずっと自分の教室にいる。どうやら、ぼくを待っているみたいだ。最近のぼくは、生徒会の仕事が終わると、日暮れまでユーイチと教室にいて、一緒に帰る。小学校以来の親友なので最寄り駅も一緒。家も近所なので、ぼくはあいつの家まで送ってあげている。ぼくらの住んでいるあたりは、特に治安が悪い地区でもないけれど、やっぱり、日が暮れてから女の子が1人で歩いているのは危ない。特に、ユーイチみたいにかわいい女の子の場合は。
「毎日大変だな、トモキ」
 ユーイチがそう言って、ぼくにとびきりの笑顔を向けた。夕陽に染まった笑顔。なぜか、教室の窓が全開になっていて、彼女の長い髪が風にたなびいている。
「ユウも、毎日教室でずっと待ってることなんてないよ。夜道は危ないから、明るいうちに帰った方がいいと思う」
「いいじゃん。トモキが送ってくれるわけだし」
「そりゃそうだけどさ」
 それからしばらく――日が暮れるまでのわずかな時間、ぼくはユーイチと他愛のない話をした。話の内容が他愛ないものであればあるほど、ぼくの目は、ユウの愛らしい顔と、ブレザーを押し上げている胸のふくらみに、ついつい行ってしまう。
 胸のふくらみは、女兄弟も、もちろん、ガールフレンドもいないぼくに取っては、未知なる物。そんな物が、10年近い付き合いの親友についているということで、余計に気になってしまう。特に、このところ、最初の頃に比べて、ユウの胸のふくらみが、その――大きくなっているんじゃないかと思えて仕方がない。あれからまだ数日しか経っていないわけだけど、女の子の胸っていうのは、たった数日で、目に見えてふくらむものなのだろうか?
 そう言えば、以前、ユーイチがこんなことを言っていた。
「女の胸ってのは、ブラ次第らしいぜ」
「ブラって?」
「ブラはブラジャーに決まっているだろう」
 ユーイチは、ブラジャーなんて単語を平気で口にする。ぼくは、そんな言葉、恥ずかしくて言えやしないのに。
「最近のブラは、寄せたり上げたりして、ぺちゃんこの胸でも、大きく見せることができるらしいから、トモキもそんなのに騙されるなよ」
 そのときは「ぼくには騙されるような機会なんてないよ」と言ったのだが、ひょっとしたら、今のユーイチは、そのとき言ったみたいな下着を着けているのかもしれない。ユウは「女ってのは、とにかく自分の胸を大きく見せたいものだからな」とも言っていた。そのときは、ユウの奴、どこでそんなネタを拾ってくるのだろうと思っていた。コイツには、ぼく同様、女兄弟もいないし、ぼくの知る限り、ガールフレンドだって、いた試しはない……。
 ――。
 あれ? 今、何かおかしかったような――。 
「トモキ、何ぼんやりしてんだ?」
 ぼくが考え事をしていると、目の前に美少女の顔が現れた。ユーイチがぼくの顔を覗き込んだのだ。
「ごめん、ちょっと考え事」
「さあ、もう日が暮れたし、帰るぞ」
「あ、ああ」
「悪いけど、窓閉めるの手伝ってくれ」
「うん」
 ぼくは、ユーイチと一緒に、全開になっている教室の窓をすべて閉めて鍵をかけた。
「ねえ、どうして、窓が全部開いているの?」
「どうしてって――空気を入れ替えた方がいいかな、と思って」
 そう言って、ユーイチは、下を向いた。ぼくには、ユウの顔が赤くなっているように見えた。単に、夕陽に染まっていただけかも知れないけど。 
 教室を出る前にユーイチは、自分の着ている制服をチェックした。
「どこもおかしくないよな」
 言われて、ユーイチの方を見た。おかしなところなんて、どこにもない。どころか、とびきりかわいい女の子が、かわいらしいブレザーの制服に身を包んで、自分の服装をチェックしている様は、これ以上ないぐらい完璧な美少女ぶりだ。
 ウチの制服は、男子は昔ながらの真っ黒な学生服だけど、女子の制服は、近隣の女子生徒が羨むようなかわいらしいブレザータイプのものだ。学生服の襟についていると、無骨以外の何物でもない校章が、ユーイチのようなかわいい女の子が着ているブレザーのエンブレムになっていると、どこかのお嬢様学校の校章みたいに見えてくるから不思議だ。いまどきの女子高生の制服らしく、スカートは短くて、裾から伸びるユーイチの健康的な脚が気になって仕方がない。
 噂では、この制服は、有名なデザイナーに高額で発注したものらしい。質実剛健なんてのは、あくまで男子の場合。女の子の場合は、かわいい方がいいというのが学校の考えなのだろう。そりゃそうだ。いくら、男子校といったって、女子の制服まで詰襟では、誰も、入学しなくなってしまう。
 ――あれ?
 ウチは男子校だろ? だったら、そもそも、女子は入学できないはずじゃ……。
「トモキ、何突っ立ってるんだ。行くぞ」
 ぼくの考え事は、ユーイチの言葉に中断された。
「う、うん」
「ほら、ちゃっちゃと帰るぞ」
 そう言って、ユーイチはぼくの腕をつかんで、引っ張っていこうとする。ユウに掴まれたぼくの腕が、何か、柔らかい物に触れた――。
「うわっ!」
 ぼくは、慌ててユウの腕をふりほどく。
「何慌ててんだ?」
 ユウのかわいらしい顔がいたずらっぽく笑っている。コイツ、絶対わかってやっていると思う。
「ホラ、早く来ないと置いてっちゃうぞ」
 ユーイチはそう言うと、ひとりで教室の出口へと向かった。 
「あ、待ってよ」
 教室を出て行こうとするブレザーにミニスカート姿の親友の後を、ぼくは、慌てて追いかけた。


 翌日、いつものように生徒会の仕事を終えて戻ってきたぼくは、ユーイチの教室から出てきたテニスウェアの長身の男とすれ違った。
(あいつ、確か――)
 テニス部のキャプテンをやっている奴。確か、ケースケって名前だったっけ。インターハイまで行った程の実力者だ。クラスはユーイチと同じだから、ユウの教室から出てきてもおかしくはないんだけど、夕暮れの薄暗い廊下ですれ違ったとき、彼の顔が卑しく笑った気がして、妙な胸騒ぎを覚えた。
「ユウ」
 急いで隣の教室の戸を開けた。中のユーイチは、ちょうど着替え中で、ブラウスのボタンを留めようとしているところだった。
「あ、――ごめん」
 ぼくは、慌てて教室を出ようとする。
「いいよ、もう全部終わっちゃったと思うから。外、誰もいなかっただろ?」
「う、うん」
 ぼくは、呼び止められて、再び教室に入った。ユーイチは、ブラウスのボタンを留め終わって、教室の後ろの壁に立てかけてある姿見を見ながら、リボンをつけているところだった。数日前に見たときにはぎこちなかったその動作も、すっかり手馴れた感じがした。
「その鏡、どうしたの?」
 確か、そんなもの、昨日来たときにはなかった筈だ。
「担任が持ってきた。女の子なんだから、鏡のひとつも欲しいだろうって」
「ふうん。男子校でも、女子がいるクラスは違うね」
 自分で言ってみて、ちょっと違和感を感じたんだけど、深くは考えないことにする。
「何?」
 リボンをつけ終わったユーイチが、こっちの方を見ている。
「何か、変かな?」
「いや、そんなことはない。トモキが変だと思わないのなら、それでいい」
「変な奴だな」
 ユーイチは、最後にブレザーを着て、鏡の前で最終チェックをしていた。
「やっぱり、鏡があると、チェックが楽だね。細かいところまでよく気が付くし」
 そう言いながらも、ユーイチは鏡の前で時間をかけて、胸元のリボンのほんの少しのずれを直していた。鏡があるせいで、これまでよりも時間は余計にかかるようになった。ぼくは、ユーイチのチェックが終わるまで、窓際の席に座って待っていた。
 今日も、教室の窓は全開で、夕暮れのちょっと冷たい風が吹き込んでくる。ぼくは、何気なく、窓から見える夕焼けで赤く染まった校庭を眺めていた。
「お待たせ」
 振り向くと、ぼくの目の前にユーイチがいた。ちょうど、座っていたぼくの目の高さには、ユウのブレザーに包まれた胸があった。
(あれ?)
 目の前で見たせいだろうか。ユウの胸がまた大きくなっているような気がする。
「やっぱり、気になる?」
 ユウがいたずらっぽく言ってきた。
「何が?」
 ぼくはとぼけて見せた。
「しらばっくれるなよ。気になっているくせに」
 そう言うと、ユウは、座っているぼくの方に、体を預けてきた。ユウの大きな胸が、ぼくの鼻先とぶつかりそうになる。
「やめろよ」
「ええっ、折角大きくなってきたんだから、見てくれよ。何なら、触ってもいいぞ」
「お、女の子がそんなことするもんじゃない」
「まだそんなこと言ってるのか。ほら。オレの胸、でっかくなったの、わかるだろ」
 ユウの言葉に、ぼくは、無言で真っ赤になった。
「今日一日で、Eまできたんだぞ。まあ、今日は5人だったからな。おかげで、頭の方も、かなりすっきりしてきた感じだし、体調も万全。そうだ。トモキ、明日の宿題あるんだろ。やってやるから、出せよ」
「いいよ、自分でやるから」
「遠慮するなよ。すぐ終わるからさ」
 そう言って、ユーイチは、ぼくの鞄の中から、英語と数学のプリントを勝手に取り出した。
「これだな。ええっと……」
 ユーイチは、英語のプリントに取り掛かった。ユウは、女の子らしいピンクのシャープペンで、さらさらとプリントに書き込んでいく。慣用句の穴埋め問題に、英訳から英作文まで、まるで、どこかに模範解答の用紙でもあって、それを書き写しているかのように、ユウは辞書も見ず、考える素振りも見せずに、解答を書き込んでいった。そんなユウを横から見ていると、ブレザーの胸のふくらみがはっきりわかって、どぎまぎしてしまう。
 結局、ものの2分で、白紙だった答案用紙の解答が埋まった。
「これ、合ってるの?」
 ぼくは、半信半疑でユーイチに問い掛ける。
「合っているよ。少なくとも、英語としては、間違っていないから」
 ユウは成績は悪くはないが、あっという間に宿題のプリントを片付けてしまう程ではない筈だ。宿題で出されるようなプリントは、大学入試レベルのものだそうだから、これを辞書もなしにすらすら解けるようなら、どんな大学にだって合格できるような英語力だということになる。
 ぼくは、ユウが書き込んだプリントを改めて見てみる。
「ユウ、この字……」
「ああ、トモキの筆跡で書いといたから。そのまま出せば大丈夫」
 言われてみると、確かにぼくの字だ。いつの間にこんな器用なことができるようになったのだろう? 内容については、正解かどうかぼくにはわからないが、少なくとも、滅茶苦茶なことを書いたわけではないということぐらいはわかった。
「はい。こっちも終わり」
 英語のプリントを見ているうちに、ユーイチは、数学のプリントも片付けてしまった。ざっと見ただけだけど、こちらも合っているっぽい。
「どうしたの、ユウって、こんな頭よかったっけ?」
「オマエよりは成績いいだろ」
 ユウの言うとおりだけど、そんなに差があるわけじゃない。
「でも、こんなすらすら宿題ができちゃうなんて」
「なんだ、合ってるかどうか、心配してるのか?」
「そうじゃないけど」
「オレがやったんだから、間違いないって。何なら、次の試験では全科目満点取って見せようか」
 全科目で満点だって? ウチの学校の試験は、そこらの大学入試よりもはるかに難しくて、平均点が50点を切るのなんてザラだ。全科目どころか、1科目だって満点を取ったなんて話は聞いたことがない。
「そんなの無理に決まってる」
「大丈夫だって。試験まで1週間もあるんだから」
 ユウの奴、それまでの間、必死に猛勉強するんだろうか? でも、そんな姿、コイツの普段の生活ぶりからは考えられない。
「そうだ、トモキ。賭けをしないか?」
「賭け?」
「そう。オレが次の試験で全科目満点取ったら、何かひとつ、オマエがオレの言う事を聞く。その代わり、どれか1教科でも満点でなかったら、オレがオマエの言う事を何でも1つ聞く。どうだ?」
 どうだ、って言われても、そんな賭け、明らかにユウの方の分が悪過ぎる。それに、ぼくがユウにしてほしいことも、思いつかないし。
 ぼくは、はじめユーイチの申し出を断ったが、どうしても、とお願いされて、結局、賭けの約束をしてしまった。そりゃあそうだろう。男だったら、誰だって、ユウみたいな美少女に見つめられて「お願い」なんて言われたら、断り切れないに決まっている。
 ぼくの目を見つめて、女の子みたいな台詞をつぶやいたその少女は、以前よりも、少しかわいくなっているような気がした。


「なあ、トモキ、ちょっといいか?」
 翌日、ぼくが生徒会の雑用をこなしていると、ぼくと同じく生徒会で役員をしている奴に呼び掛けられた。
「オマエの隣のクラスのユーイチって奴いるよな。あれ、オマエの彼女?」
「えっ、ええっ?」
 ぼくは、思わず声が裏返った。だって、ユウは、小学校以来ずっと付き合っている親友だけど、彼女だなんて思ったことは一度もない。まあ、確かに、ぼくがこれまでの人生で会ったことのある女の子の中では、ユウがとびきりの美少女だということは間違いないし、こんな女の子と一緒に話をしたり、お弁当を食べたり、家まで送って行ったりしたら楽しいだろうなぁ、とは思うけど、ぼくとユウはそんな関係じゃ……。
 あれ? 何か変だぞ。
 そう言えば、ぼくは、このところ、毎日ユウを家まで送って行ってるよな。今日のお昼も、ユウと一緒にお弁当を食べたし――。
「何、慌ててるのさ。――やっぱり、彼女なんだ」
「ち、違うよ。アイツとは、幼馴染っていうか、親友っていうか……。でも、どうして急に、そんなこと訊くの?」
「どうしてって……」
 そう言うと、彼は煮え切らない顔になった。何だか、言いづらいことがあるみたいだ。
「まあ、彼女じゃないって言うんだから、いいか。――実は、昨日の放課後にたまたまあのユーイチって子の教室の前を通ったんだよ。遅い時間だったから、誰もいないと思っていたんだけど、教室から物音が聞こえたんだ」
「物音?」
「そう。机や椅子が動く音かな。それも、動かそうとして出た音じゃなくて、動かすつもりはなかったのに、ガタゴト音が出ちゃったって感じ。その音が気になって、入り口の戸を少し開けて、教室の中を覗いてみたんだけど――」
「うん」
「オマエの――その――幼馴染が、キスしてたんだよ」
 キスだって? ユウが?
 そりゃあ、確かに、ユウはぼくより多少は進んでいる奴だけど、今まで、女の子と付き合ったことなんてない筈だ。第一、ここは男子校で、女の子なんていないはずじゃ……。
 あ、そっか。今は、ユウが女の子だもんな。この学校では唯一の女の子だし。そうでなくても、アイツ、かわいいから、キスしたいって奴がいたって不思議じゃない。――けど、一体、誰と?
 まさか。
 ぼくは、昨日の放課後、ユウの教室の前ですれ違った男のことを思い出した。
「ひょっとして、相手は、テニス部のケースケ?」
「何で、そいつの名前が出てくるんだ? 違うよ。タクローだよ」
 タクローだって?
 タクローというのは、やはり、ユーイチのクラスの奴で、物凄くわがままで、性格の悪い奴だ。ぼくの学校は進学校で、それなりの成績がないと入れない筈なのに、このタクローという奴は、自分の名前を漢字で書くので精一杯というような学力。なんでこんな奴がウチの学校に来たんだろうと不思議に思っていたら、どうやら、親がこの地方の有力者らしい。裏口入学なんて話は信じたくないけど、コイツを見ていると、あながち根も葉もない噂とも思えない。もちろん、裏口だろうと何だろうと、入ってからがんばって勉強すればいいのだけど、コイツは一切勉強なんてせずに、遊び歩いている。きっと、大学も同様の方法で、入るつもりなんだろう。頭は空っぽだけど、図体は大きくて腕っ節も強いし、金も持っているので、手下みたいな奴が何人かいて、そいつらといつもつるんでいた。
 どうしてタクローのことについて、こんなに詳しいかというと、実は、ぼくはコイツとは1年生のときに同じクラスで、入学早々、奴のグループに入れ――つまり、手下になれ、と言われたのだ。多分、見るからにおとなしそうなぼくに目をつけたのだろう。このときは、当時のぼくとしては精一杯の勇気を振り絞って、奴の誘いを断った。もちろん、それはぼくひとりの力ではなくて、ユーイチが応援してくれたから、断ることができたのだけど。
 今思えば、それはぼくの高校生活の分かれ道だったような気がする。あのとき、タクローの誘いを断り切れなかった奴らは、タクローに振り回されっぱなしの高校生活を送っている。彼らも、この学校に来たぐらいだから、そこそこ成績は良かった筈なのだが、今では見る影もない程の落ちこぼれだ。
 もちろん、タクローの誘いを断ったぼくは、以来、奴から何かと目の敵にされて、陰湿なイジメも受けたのだけれど、何とかやっている。ぼくが生徒会の役員に誘われたのも、部活に属していなかったぼくを、生徒会という組織の中に取り込むことで、彼らからの風当たりを少しでもやわらげようという教師たちの配慮なんだと思う。本当ならば、停学・退学という処分にしてしまいたいのだろうけど、奴の親はこの学校に大口の寄付をしているので、それもできないというのが、もっぱらの噂だ。
 もちろん、ぼくとは幼馴染で親友のユーイチも、タクローとは仲が悪い。タクローは、ぼくが手下になるのをユウが邪魔したと思っているみたいで、1年の頃から何かというと言い争っているのをこの目で見ていた。今は、ぼくだけが別のクラスになったので、それを直接目にする機会はなくなったが、ユウがタクローを嫌っているのは、周知の事実だったし、タクローの方もユウを疎ましく思っているはずだ。だからぼくは、ユウがタクローとキスしていた、という言葉には耳を疑った。
「まさか。何かの間違いだろう」
「だって、タクローだぞ。間違えようがないだろ」
 確かに、タクローは、背が高くてでっぷりと太っていて、相撲取りか柔道の重量級の選手みたいな体型をしている。あんな体型の奴、この学校には他にいない。それに、相手の方も多分ユーイチで間違いない。だって、ユウは、この男子校の中で、唯一の女子生徒なのだから――。
 うん? やっぱり、どこか変だ。この話、何かおかしい。
 よし。こうなったら、ユウに、直接問いただしてやる。
 ぼくは、生徒会の仕事が終わると、いつものように夕暮れの教室へと向かった。
 もう、夕暮れに近い時間だったので、誰もいないと思っていたのに、教室の前には、ぼくが一番会いたくなかった奴が立っていた。タクローだ。
 相変わらず、でかい。身長はぼくよりも10センチ以上高くて、体重は、下手をしたら倍以上あるだろう。冗談じゃなく、柔道部とかに入って真面目に練習したらいいところまで行くような体格だと思うのだけど、コイツには、そんな面倒なことをする気持ちはさらさらないようだ。
「何だ、トモじゃねえか」
 タクローは、今日は取り巻きの連中はいなくて、ひとりだけだった。ぼくは、教室の入り口の戸の前で突っ立ってぼくの方を睨んでいるタクローを無視して、教室に入ろうとした。
「何、シカトこいてんだよ!」
 タクローが突然そう叫んで、ぼくの前に立ち塞がる。ぼくは、彼の巨体で行く手を遮られてしまった。
「勝手に割り込むんじゃねぇよ」
「割り込みって?」
「見りゃ、わかるだろ。おれたちはずっと、ここで並んでるんだよ。教室に入りたいなら、お前も並べよ」
 おれたちって、オマエ1人しかいないじゃん、と思いながらも、ぼくは、教室の入り口に立っているタクローの後ろに並んでしまった。
 あ、そうか。おれたちって言っていたのは、タクローの前にも誰かが並んでいたってことだ。つまり、順番待ちをしていて、ようやく、タクローが列の先頭までたどり着いたということなのだろう。
 いや、それも変な話だ。だって、このタクローが列におとなしく並ぶなんて、ちょっと想像できない。いつも、校内の売店や身体検査のときなどは、強引に割り込んできたり、それができないときは、手下の誰かに代わりに並ばせたりしている。こんな具合に、列の最後尾に並んでいるなんて、わがままなタクローの行動とは思えない。
 そう言えば、今日のタクローは、いつになく落ち着いている。いつもは、立っていても座っていても、ベルトのところからぶら下げた銀色の鎖をせわしなく弄んで、チャラチャラ鳴らす音が耳障りなのだけど、今日は、腕を組んで、じっと立ったまま閉ざされた教室の戸を見つめている。普段なら、誰もいない教室の廊下にぼくとふたりで立っていたら、必ずといっていい程、ぼくにちょっかいを出してくるのだけど、今日は、それもない。まるで、別人のような雰囲気だった。
 そんなことを考えているうちに、教室の反対側の戸が開いて、中から人が出てきた。
「リーダー、お先に」
 そう言って出てきたのは、ジュンジだった。タクローの手下の1人だ。タクローは、手下たちには自分のことを「リーダー」と呼ばせているらしい。手下たちは、同級生なのにタクローに対しては、敬語を強要される。
 ようやく、自分の順番が回ってきたタクローは、出てきたジュンジに「おう」と短い返事をして、教室の中へと入っていった。
 やっぱり、変だよ、これ。
 先にジュンジが出てきたってことは、タクローよりも前にジュンジが並んでいたってことだ。タクローが自分の手下の後ろに並んでいるなんて、ありえない。それとも、この行列って、後ろに並んだ方が得なのだろうか? いや、だったら、タクローは、後からやってきたぼくに対して、先に並ぶように言った筈だ。わけがわからない。
 教室の前にひとり残されたぼくは、しばらくタクローの不可思議な行動をあれこれ考えていたのだが、そうしているうちに、目の前の戸が不意に開いた。そこには、さっき部屋に入っていったタクローが立っていた。ベルトのとこからぶら下げた銀色の鎖を弄って、チャラチャラ耳障りな音を立てている。いつものタクローに戻っていた。
「おい、トモキ、特別に入れてやるよ」
「え?」
 ぼくは、タクローの言葉に戸惑った。彼が何を言っているのか、よくわからなかったし、そもそも、ぼくは、何のために並んでいるのかもよくわかっていなかった。
「中に入りたいんだろ。入れてやるから、入れよ。ただし、絶対邪魔すんなよ」
 ぼくは、迷ったが、結局、タクローに言われるままに教室に入った。中で待っている筈のユーイチに少しでも早く会いたかったからだ。
 教室には、そのユーイチの姿はなかった。昨日壁に立てかけてあった姿見がなくなっていて、かわりに、保健室にあるようなカーテン式の衝立があった。
「おい、オマエのダチを連れてきてやったぞ」
 タクローが言うと、その声に促されたように、カーテンの隙間から、ユーイチが出てきた。
「ユウ――」
 ぼくは、ユウの姿を見て、目を疑った。
 カーテンの隙間から出てきたユーイチは、いつもの制服姿ではなかった。ブレザーも、リボンもつけてはいない。ブラウスのボタンも全部外れていて、その下の――下着が見えていた。そればかりか、今のユウは、スカートもはいていなくて、ブラウスの裾から、パンツが見え隠れしていた。ぼくの目は、ユーイチの下着が上下お揃いのピンクだということを見取ってしまった。
「オ、オマエ、なんて格好してるんだ」
 ぼくは、思わず後ろを向いた。
「優等生のトモキ君、何、恥ずかしがってるんだ?」
 ぼくの背中から、タクローの野太い声が聞こえてきた。
「折角、お前の仲良しのユウがこんなセクシーな格好で出てきたんだぜ。ちゃんと、見てやれよ」
 そんなこと言われても、ユウは、ぼくの親友だ。いくらかわいい女の子だからと言って、下着同然の姿の親友を見たいなんて思わない。
「ほら、特別大サービスだ。こっちを見ろよ」
「あんっ」
 タクローの卑しい声と一緒に、女の子の艶かしい声が聞こえた。
「ユウ!」
 その声にぼくは思わず振り向いた。
 ぼくの目に飛び込んできたもの――。
 それは、机に腰を下ろしたタクローと、その膝の上に座ったユーイチの姿だった。タクローの右手は、ボタンを全開にしたブラウスの間から、ユーイチの胸をまさぐっていた。ユウのふくよかで柔らかそうな胸が、タクローの太い指で押し潰されて、いやらしく形を変えるのが見えた。
「あ――」
 ユーイチの小さな口から、かすかに声が洩れた。
「や、やめろ!」
 ぼくは、タクローに向かって叫んだ。だが、タクローは、ぼくのことを無視して、相変わらず、ユウの大きな胸を触り続けている。ユウもユウで、タクローの膝の上で、奴にされるがままに身を任せている。
「やめろって言ってるだろう」
 ぼくは、タクローとユーイチが座っている机に向かって駆け出そうとした。が――。
「来るな!」
 澄んだ高い声が教室に響き、ぼくは、思わず足を止めた。ぼくを止めたのは、タクローではなく、ユーイチだった。
「来なくていいよ。別に、なんともないから」
「で、でも……」
 なんともないわけがないだろう。タクローみたいな奴にそんなことされて。
「いいんだ。これは、オレの意思でやってることなんだから」
「ユウ、また、『オレ』って言いやがったな。何度言えばわかるんだよ。女らしく、もっと丁寧な言葉遣いしろって言ってるだろ」
「ああんっ、タクローくんっ、ごめんなさい。もう言わないから、ユウを許して」
 突然、ユウは女口調になると、自分の胸にタクローの手を押し付けた。
「タクローくん、いいよ。すごいよ。ユウ、気持ちイイ」
 タクローが何か言いかけたが、ユウがタクローの唇を奪った。
「んんっ。――んんーっ」
 ぼくは、信じられないものを目の前で見ていた。ユウとタクローのキス。それも、ユウの方が、激しくタクローの唇を貪っていた。ぼくは、そんなユウを見ていられなくて、後ろ向きに立っていた。
「トモキ、それじゃお先に楽しませてもらうぜ」
 しばらくすると、背中でそんな声がした。ぼくが振り向くと、タクローがユウを抱いて、衝立のカーテンの向こうへと消えるところだった。
「覗くんじゃねぇぞ」
 きっと、衝立の向こうには、保健室のようにベッドが置いてあるのだろう。そこで、ユウとタクローが何をするのか。ぼくは、クラスのみんなからニブイ奴だっていつも言われているけど、そのぐらいはわかる。
「ああんんっ!」
 それから、しばらくしてから、衝立の向こうから、女の子の悲鳴を押し殺したような声がひっきりなしに聞こえてきた。もちろん、声の主は、ユーイチなのだろう。去年の暮れに、クラスメイトの家で、アダルトビデオを見せられたことがあったけど、そのとき、主演の女の人が出していた喘ぎ声にそっくりだった。
 親友の喘ぎ声を聞きながら薄暗い教室にじっとしているなんて、ぼくには耐えがたかったけど、なぜだか、教室から出ることができなかった。もちろん、衝立の向こうに入っていくこともできやしない。ぼくは、夕闇迫る教室で、衝立の向こうから漏れてくるユーイチの声を聞きながら、じっと待っていた。
 どれぐらいの時間が経ったのだろう。衝立の向こうのユーイチの声が、ひときわ高く、鋭くなったかと思うと、喘ぎ声が段々と小さくなっていき、やがて、それは消えた。
 しばらくの間、静寂が教室の中を包み込んだ。
「ああ、すっきりした」
 衝立の向こうからタクローが出てきた。上半身は裸のまま。汗で体が光っていて、まるで風呂上りのように湯気が立っていた。締まりなくにやけた顔が、彼が先刻まで何をしていたかを物語っていた。
「ユウ、やっぱり、オマエはサイコーの女だぜ」
 タクローは、衝立の向こうを向いて言った。中からユーイチの返事はない。だが、タクローがニヤリと笑ったところを見ると、中でユウが微笑んだのかもしれない。ぼくは、そんな想像することも不快だった。
「おう、トモキ。ようやくオマエの番だ。しっかり、味わわせてもらえよ」
 タクローは、いつになく、上機嫌だ。少なくとも、ぼくにこんなにフレンドリーに話し掛けてくるタクローなんて、今まで見たことがない。ぼくの見えないところで行なわれたユウとの行為が、これほどタクローを上機嫌にさせたということだろうか?
 タクローが出て行き、教室には、ぼくとユーイチだけが残された。ぼくとユウの間には、衝立のカーテンがあって、お互いの姿は見えない。どちらも何も言わなかったし、ユーイチも衝立の向こうから出てこなかった。
 夕陽が教室を赤く染めている。そう言えば、この教室に入ってから、随分時間が経ったような気がするが、日はまだ暮れてはいなかった。腕時計で確認しても、タクローがこの教室の中にいたのは、10分かそこらのようだった。
「トモキ、入れよ」
 沈黙に耐えかねたように、衝立の向こうから女の子の声がした。
 ぼくは少しためらったが、意を決して、衝立の隙間からカーテンの中に入っていった。
「どうだ、本当に保健室みたいだろ。2つあったベッドのうちの1つをこの教室に運んだんだよ」
 衝立に囲まれた中は、ベッドがちょうど1つ置けるぐらいのスペースで、ベッドの脇は、何とか人が1人立てる程度の隙間しかない。昨日は教室の後ろの壁に立てかけてあった姿見が、この狭い保健室もどきのスペースの隅に立てかけてあった。その隣に2段式のカゴが置いてある。上の段は空だが、下の段には、ブレザー、リボン、スカート、ブラウス、そして、ピンクの下着の上下までが入っていた。
「外、まだ誰か待ってるか?」
 衣服の主がそう言った。ユーイチは、ベッドの上に座っていた。薄いシーツで体の前を隠している。剥き出しの肩がほんのりピンクに染まっていた。
「もう、誰もいないよ」
「そうか。トモキで最後か。長い一日だったな。――トモキもやるか?」
 ユーイチは、まるで、コーラでも飲むかどうか訊くみたいに、そう言った。全裸にシーツをかぶっただけの姿でベッドの上に座っているとびきりかわいい女の子が、そう言った。
「――いい」
 ぼくは、ユーイチの顔を見ていられなくて、下を向いて、小さく答えた。
「恥ずかしいのか? 親友だろ」
 なんてユウは言うけど、親友だから、恥ずかしいんじゃないか。
「だったらさ、オレの隣で寝転がるだけでいいから」
 そう言うと、ユーイチは、シーツをかぶって、ベッドの左側に寝転んだ。シーツをかぶり直すときに、ユウの真っ白で大きな胸が少し見えた。
「もう、日が暮れるよ」
「大丈夫。オレたちがいる間は、夕暮れのままだから」
 えっ、そうなの?
 ユウの言葉をぼくは一瞬だけ不思議に思ったが、すぐに納得してしまった。
 ぼくは迷ったけれど、結局、ユーイチの言うままに、学生服を脱いで、ユウの隣に入った。もちろん、脱いだのは上着だけで、その他の服は着たままだ。
 保健室から持ってきたというベッドは、もちろん1人用で、高校生2人が寝るには窮屈だった。ベッドからはみ出して落ちないようにするには、くっつかないわけにはいかない。
「昔を思い出すな。ガキの頃は、よくこうして一緒に寝たよな」
 そう。小学生の頃は、学校が休みのときには、どちらかがどちらかの家に遊びに行って、そのまま泊まってくるということがよくあった。特に、ユウがぼくの家に泊まりにきたときは、ぼくの狭い子供用のベッドでふたりこうして並んで寝たものだ。
 子供の頃のぼくは、1人で寝るのを怖がるような子供だったが、ユーイチと一緒のベッドで寝ると、妙に気持ちがリラックスできて、よく眠れたのを今でも憶えている。
 でも、今はそのときとは決定的に違う。
 ぼくらはもう小学生ではないし、ユウはとびきりかわいくて、胸が大きな女の子になっている。そして、ぼくの隣で寝ている女の子は全裸なのだ。今のぼくは、リラックスとはかけ離れた心境だった。
「抱きたかったら抱いてもいいんだぞ」
 ぼくの隣でユウがそう言った。ユウの台詞は男の子の口調だったけど、声は甘い女の子のものだった。
「ユ、ユウは……。その――タクローとエッチとかしたの?」
 ぼくは、決死の覚悟で訊いてみた。返ってくる答えは九分九厘ぼくが望んでいるものではないとわかっていたけど、訊かないわけにはいかなかった。
「したよ」
 ユーイチは、あっけらかんとそう言った。ぼくが思わずユウの方を見ると、ユウは無表情に天井を見つめていた。
「あいつが今日の23人目」
「に、23人?」
 ひょっとして、ユウとエッチするために、この教室の前に行列ができてたってこと? さっき、タクローが列に並べと言ってたのは、タクロー自身が、ユウとエッチするためにその列の最後尾に並んでいたということなのだろうか。それにしても――。
「今日だけで、23人もエッチしちゃったの?」
「まったく、日毎に増えていくんだからな。しかも、みんなまだガキだろ。下手くそなんだ、これが。どいつもこいつも、自分本位でやりやがって。最後のタクローなんて、力任せに胸を揉んで、突っ込んで、それで終わりだもんなぁ。もうちょっと女の身になってみろ、と思うんだけど、あいつの頭じゃそこまで回らないんだろう。まあ、この体は、あんな下手くそでも、ちゃんと感じるからそれが救いなんだけど」
「か、感じる、って?」
「気持ちいいってことだよ。たとえば――」
 そう言うと、ユウはシーツの中で何かもぞもぞと動いた。ユウの華奢な手がぼくの左手を取り、引っ張った。無理矢理引っ張られたぼくの手は、何だか大きくて柔らかいものに触れた。
「あっ!」
 急に、ユウが声を出した。
「な、何?」
「いいから、ちょっと手、握ってみろよ」
 ぼくは、言われるままに、ぼくが触れていたその柔らかいものを握ってみた。
「んんっ!」
 ユウの顔が切なそうに歪んだ。でも、それは、苦しそうなのではなくて、どことなく、恍惚として、気持ちよさげな顔――。
 わかっている。今、ぼくが触っているのは、ユウの胸。柔らかくて、大きな女の子のおっぱい――。
「こ、この体、物凄い敏感なんだよ。オマエにちょっと触れられた程度だって言うのに、凄い感じちゃって、気持ちよくて――トモキ、オマエ結構上手いじゃないか」
 ユウは、そんなこと言っているけど、実際にはぼくは何もしていない。ユウに手を掴まれて、ユウの胸の上に手を置いているだけ。ユウがぼくの手を勝手に動かし、握れと言われたときに握っただけだった。それでも、ユウは、ぼくの手がユウの滑らかな肌の上で動くたびに、高い声を上げた。
 保健室を模した教室の狭い一角は、夕陽で真っ赤に染め上げられている。
(もう少し暗くなったら、出よう)
 ぼくはそう思っていたが、陽はなかなか沈まなかった。ぼくは、永遠にも似た長い時間、ユーイチにいざなわれるまま、彼女の柔らかくて豊かな胸に左手を当てていた。ユウは、時折、せつなくて気持ちよさそうな声を上げている。ぼくは、左手だけでなく、全身でユーイチに覆いかぶさって、抱きしめたい、という欲情を押さえ込むのに必死だった。
「ねぇ、トモキ」
 ユーイチが甘い声でぼくの耳元で囁いた。
「オレのこと、好きにしてもいいんだぜ」
 ぼくは、ユウの言葉に何も答えなかった。何か答えてしまうと、それが引鉄になって本当にユウを抱いてしまいそうで怖かった。そんなこと、親友相手にはできやしないのに。
「ひょっとして、トモくんは男の子みたいな言葉遣いが気に入らなかったのかな? ――あたしのこと、好きにしていいんだよ」
 ユーイチは、急に、女の子みたいな口調になって言った。コイツは親友のユーイチだと思っていても、甘い女の子の声に女の子口調は似合いすぎるほど似合っていた。
「それとも、トモキさんは、お嬢様タイプがお好きなのかしら。わたくしのことが――」
「やめろよ!」
 ぼくは、耐え切れなくなって、思わずベッドから跳ね起きた。ぼくとユーイチを覆っていた薄いシーツは捲り上げられてしまった。ぼくが振り返ると、ベッドには裸で横たわるユウの姿があった。ユーイチの真っ白な筈の肌が真っ赤に見えるのは、夕陽で染め上げられていたからか、それとも、別の理由なのか、ぼくには判断付かなかった。
 ぼくが見ると、ユーイチは、反射的に、胸を隠した。大きくて、丸くて、柔らかい胸。両手で胸を隠しているユウは、少し寂しそうな顔をしていた。
「帰ろうか」
 ぼくは、そう言って、ベッドから出た。
「ああ。悪かったな」
 ユーイチは、いつもの口調に戻って言った。口調は戻っても、声はもちろん女の子のままだ。
 ぼくが背中を向けている間に、ユウはカゴに脱いであった服を着始めた。
「トモキ、ちょっとだけ手伝ってくれないか。ブラのホックがなかなか留まらなくてさ」
「なっ、何言うんだよ」
 ぼくは慌ててユウに背中を向けた。コイツ、絶対にぼくのことをからかっている。
「そ、そんなの自分でできるだろ。女の子なんだから」
「でも、慣れてないんだよ、まだ。マジな話、日に日に大きくなっていくから、ブラのつけ方に慣れた頃にはサイズが変わっちゃって、また1から憶え直しみたいな」
 ぼくが恐る恐る振り向くと、ユウは、ピンクのブラジャーを胸に当てて、背中を手探りしているところ。本当に苦労しているみたいだった。
「頼むから、手伝ってくれよ。後ろのホックを留めるだけでいいから」
 仕方なく、ぼくはユウがブラジャーをつけるのを手伝った。ホックを留めるために背中のストラップを引っ張る。何か、とても柔らかくて、でも重量感のある塊が揺れる感触がぼくの両手に伝わってきた。
「あんっ」
 ユウが艶かしい声を出した。
「へ、変な声出すなよ」
「ごめん。でも、この体、本当に敏感なんだ。これでも、我慢してるつもりなんだけど、思わず声が出ちゃうんだよ。――んっ」
 ぼくが、何とかホックを留め終えると、背中を向けていたユウがぼくの方に向き直った。ぼくは、目の前に立つ高校生にしてはちょっと幼い顔立ちの美少女の下着姿を間近で見ることになった。
「何かおかしいか?」
 ユウは、下を向いて、ピンクのブラジャーを引っ張ったりして見せた。ユウの大きくて形がよくて、柔らかい胸が、ぼくの目の前で揺れた。
「何だ、トモキ。折角つけたブラを取ってみたくなったか?」
 ぼくは、かあっと頭に血が上って、真っ赤になっていくのが自分でもわかった。ユウが言ったことが図星だったからだ。
 正直言うと、ぼくは、ユウの揺れる胸を目の前で見て、ユウのピンクのブラジャーを引き剥がして、その下にあるふたつのふくらみをじかに見てみたい。そして、そのふたつのふくらみをこの手で触ってみたい、という衝動を抑えるのに必死だった。ぼくの左手には、さっき触ったユウの胸の感触がまだ生々しく残っていた。
「は、早く、服を着ろよ」
 ぼくは、ユウの目を見ないでそう言うと、カーテンの衝立の外へと逃げるように出て行った。
 その後、ぼくは、いつものようにユーイチを家まで送っていった。いつもは、少し距離を置いて並んで歩くぼくたちだったけれど、今日は、ユウがぼくの腕に掴まるようにくっついて歩いた。ぼくの腕は、ユウのふたつのふくらみに挟まれている感触があったけど、ぼくは何も言えず、顔を真っ赤にしたまま、その柔らかな感触を味わっていた。
 結局、この日は、ユーイチの家に着くまで、どちらも一言も口をきかなかった。


 その日の夜、ぼくの頭の中は、ユーイチのことで一杯だった。
 机に向かって宿題をやろうとしても、数式はちっとも頭の中に入ってこないし、予習をしようと英語の辞書を開いても、どの単語を調べるんだったか忘れてばかりで、ちっとも進まなかった。
 ぼくの頭の中には、ピンクの上下お揃いの下着をつけたユウの姿しか浮かんでこなかった。
 高校生にしてはちょっと幼い顔立ちの美少女。それとは裏腹の大きな胸。顔立ちと胸はアンバランスであったけれど、手足は細くて長くてきれいだった。一言で言えば、童顔、巨乳でスタイル抜群の美少女。それが今のユーイチだ……。
 ――。
 童顔、巨乳でスタイル抜群の美少女。
 この響きには何だか憶えがあるぞ。何だっけ?
 ぼくの手元で、開きかけの辞書がパタンと閉じる音がした。
「あ」
 ぼくは、その音によってまるで現実に引き戻されたみたいにはっとした。
 そうだ。確か、あれは1ヶ月ぐらい前のことだったろうか。
 その日、ぼくは、久しぶりにユーイチの家に泊まりに行った。小学生の頃は、毎週のようにどちらかがどちらかの家に泊まりに行ったものだが、最近は1ヶ月に1度あるかないかという程度。その日は、ユウが新作のシューティングゲームを買ったということで、それをやりにいったのだった。
 シューティングゲームで指が疲れてきたので、少し休憩しようという話になり、その間、最近ユウがやっているというシミュレーションゲームの話になった。タイトルは忘れてしまったが、自分の理想の彼女を作り上げていくというゲームだったと思う。パッケージにはタイプの違う、3人の美少女が描かれていた。
 ぼくは、サッカーチームを作ったりするようなシミュレーションゲームはやったことはあるけど、こういうのはやったことはない。美少女が出てくるようなゲームは、全然興味がないと言うとウソになってしまうが、自分でそれを買おうという気にはなれなかった。そういうのをレジまで持っていくのが恥ずかしいというのが、主な理由なんだけど。
「基本はやっぱり、童顔、巨乳でスタイル抜群の美少女だよな」
 ユウは、そう言って、ゲームの中で作りかけの彼女の姿を見せた。確かに、画面に出てきた少女は、かわいくて、胸が大きかった。
「そういうものなの?」
「そういうものだろ。だって、かわいい子とかわいくない子だったら、トモキはどっちを選ぶんだ?」
「そりゃ、そうかもしれないけど……。でも、なんで、童顔なのさ?」
「何か? ひょっとして、トモは年上が好きなのか?」
「そういうわけでもないけど――」
「年下だったら、オレたちの年だったら、必然的に童顔だろ?」
 年下でも、童顔じゃなくて、きれい系の美少女だっているだろう、と突っ込もうかとも思ったのだけど、やめておいた。結局のところ、ユウの好みの話なので、それにケチをつけても意味がない。
「でも、彼女なんだから、いくら美少女でも、性格悪かったらいやだよね」
 ぼくは、ボソリとそれだけ言った。
「だから、そういう細かい設定もあるんだって」
 ユウが言うには、性格は明るく活発だけど、ユウに対してだけは従順。ユウが浮気をしても、やきもちを妬いたりしないんだそうだ。
「なんだか、ユウに取って、都合のいいばっかの女の子だね」
「そりゃ、ゲームだからな。現実にはそんな女の子がいるわけないけど、現実の世界でできないことを実現させるのがゲームなんだから、そういうものだよ」
 そりゃあ、そうかも知れないけど。
「あとは、頭脳明晰で体力抜群。今はまだ大した事ないけど、いずれはノーベル賞クラスの頭脳とオリンピック級の運動能力に育て上げるつもり」
「何、それ?」
「だってさ、童顔のかわいい子ってのは、言ってみれば、ちょっと馬鹿っぽいわけだよ。実際、喋り方もちょっと馬鹿っぽい子が、実は、天才的な頭脳の持ち主だったってのは萌えるだろ」
「そういうものかなぁ」
「そういうものだよ。体力だって、見た目細くて華奢なのに、凄いパワーとスピードの持ち主。強い女の子って、いいじゃないか」
 そう言えば、コイツは昔から女の子が見るような美少女戦士物とか好きだったよなぁ。
「それに、ノーベル賞級の天才だったりすれば、その研究を利用すれば簡単に億万長者だよ。オリンピック選手で、こんなかわいい美少女なら、きっとスポンサーとかがついたりして、下手なプロ野球選手なんて目じゃないぐらいに稼いでくれるぞ。あ、どうせこんな美少女なんだから、歌手になってヒット曲連発というのもいいなぁ」
「オマエ、女の子に働かせるばっかりって、サイテーだな」
「だから、そういうゲームなんだって。このゲームは、あくまで女の子を育てるゲームだから、主人公のレベルが上がったりはしないんだよ。あくまで、レベルが上がるのは、女の子のレベルなんだから」
 よく聞いてみると、ゲームの上では、能力が高すぎる女の子を作ると、女の子のプライドが高くなりすぎて、主人公の言うことを聞いてくれなくなるようにできているそうだ。そのあたりをうまく宥めたりしながら、理想の彼女を作り上げていくというゲームらしい。
「取りあえず、最終目的としては、超人的で従順な彼女なんだけど、今のところは、容姿と感度だけで、手一杯」
「感度って?」
「感度っていったら、女の感度だよ」
 ユウはそう言うが、ぼくにはよくわからない。
「だからさ、女の子が体を触られたりしたときに、どれだけ感じるかってこと。攻略サイトによると、最初はとにかく感度を上げておいて、ひたすらエッチして、彼女を虜にしちゃうといいらしいんだ。エッチ漬けにしちゃって、エッチ大好きな女の子にして、それから従順にして、容姿はその後でなんとでもなるっていうんだけど、やっぱり、折角エッチするんなら、容姿は重要だから、そっちを優先しちゃったんだけど、そのせいか、うまくいかないんだよなぁ」
 ぼくは、ユーイチの台詞に一瞬固まってしまった。
「ユウ、このゲームって、エッチなこととか出てくるの?」
「そりゃ、エロゲーだからな」
「えっ?」
 ぼくは、改めて、ゲームのパッケージを見直してみる。表は3人のかわいい女の子が服を着ている絵だったけど、裏返してみて愕然とした。裏は、表で描かれていた女の子が裸になって、エッチなことをされている絵だった。
「ユ、ユウはこんなのやるんだ」
「うん。クラスにこういうの好きなヤツがいて、これはそいつからのお下がり。オレもこういうのはじめてだけど、結構面白いというか、意外と難しい。とにかく、最初はエッチして従順にさせないといけないんだけど、あんまりやりすぎると妊娠しちゃうんだよな。女の子が自分の意思で、妊娠したりしなかったりという設定にできるらしいんだけど、どうやったら、そうなるかがまだわからないんだよね。もっとも、従順になる前にその設定を入れちゃうと、勝手に妊娠しちゃって困るわけなんだけど――」
 その後、ユウは「理想の彼女」について、延々と語っていたけど、ぼくは、恥ずかしくてユウの言葉をほとんど聴いていなかった。
 でも――。
 最初のあたりは憶えている。
 童顔、巨乳でスタイル抜群の美少女。
 そういえば、ユウは「この体、やたら感度がいい」なんて言っていた。体力はどうかわからないけど、この間、宿題をまるで答案を写すみたいに簡単に片付けていたっけ。次のテストでは全科目満点を取るなんて言ってたけど、ひょっとして頭の方も、天才的になったってこと?
 これじゃ、まるで、ユウ自身が「理想の彼女」みたいじゃないか。
 でも、どうして?
 そして、もうひとつの疑問。
 ユウが「理想の彼女」だとしたら、それは誰に取っての「理想の彼女」なんだろう?


 放課後、ユウの教室は、大変なことになっていた。
 クラス中、いや、学年中の生徒が集まってきたんじゃないかと思うぐらいの長蛇の列。ユウの教室の入り口のところから、隣のぼくの教室の前を通り越して、階段のあたりまで列が延びていた。先日、ユウは「今日は23人相手した」なんて言っていたけど、とてもそんな数字じゃ済まなくなっている。たまたまぼくが見たときに列に並んでいた人間だけでも、少なく見積もっても、100人は下らないと思う。
 もちろん、列に並ぶ奴らの目的は同じだ。同じ筈なんだけど、なんだか変だった。
 列が結構進むのだ。
 この行列に並んでいる奴らの目的からすると、1人が入ったらしばらくは出てこない筈なのに、みんな、1分と経たないうちに出てくる。ひょっとして、中にいるユーイチに追い出されたのかも知れない。
 そうだ。そうに違いない。
 ユウだって、入ってきた男をいちいち全部相手にしてなんていられない。ぼくは、ユウが入ってきた男達をつれなく追い返す情景を浮かべて、少しいい気分になっていた。
 だけど、ぼくの考えは、ユウ自身の言葉によって否定された。
「教室の中では、流れる時間の速さが違うんだよ」
 行列が全部捌けてしまって、誰もいなくなってから、ぼくはユウの教室へと入り、いつものようにユウと話をした。いくら回転がいいとはいえあれだけの人数が1分おきぐらいに教室へと入っていくのだから、かなりの時間を要したのは確かで、この日も、夕暮れ間近になっていた。
「時間の流れが違うだって?」
 ぼくが驚くと、ぼくの目の前にいるユウは、いたずらっぽく笑った。今日もユウは、多分全裸で、ベッドの上でシーツを被っている。ぼくは、ベッドに腰掛けていた。
「この教室は、言わば『店』なんだよ。放課後の間、夕暮れまでが営業時間の。それまでに来たお客さんは、全部相手にするってのがこの『店』のルールなんだ」
「ルール?」
 ユウの奴、また変なことを言い出した。でも、そんなこといちいち気に留めていても、仕方がない……。
「そう、ルールだ。だけど、いくらなんでも、100人も200人も並ばれたら、限られた時間じゃ、対応できない。だから、この教室の中は、外に比べて、時間の流れが違っているんだよ。外から見ていると、教室に入った奴がすぐに出てきたみたいに見えるけど、教室の中では30分とか1時間という時間が流れてるんだ。まあ、みんなガキだから、1時間なんて奴は滅多にいないけどな」
 そ、そうなのか。ということは、やっぱり、ユウはあの行列を作っていた膨大な男たちの全部と――。
「結局、今日は149人。日に日に増えてくなぁ。仮に1人30分としても、74時間半か。さすがに、丸3日以上飲まず食わずでヤリっぱなしってのは飽きてくるな。なんか、久しぶりにトモキに会ったって気がするもんなぁ」
 久しぶりって、今日もぼくはユウと一緒に昼ごはんを食べた。あれから、まだ数時間しか経っていない――。
 ああ、そうか。放課後のこの教室の中は、外の世界と時間の流れが違うから、ぼくに取っては数時間でも、トモキには丸3日以上の時間に感じられるんだ。でも、そんな長い時間、100人以上もの男が代わる代わる入ってきて、飲まず食わずエッチし続けてきたなんて。
「ユウ、そんなことして、体の方はなんともないの?」
 ぼくは、ユウの体が心配になって、そう訊いた。
「平気だよ。どうやら、1人終わるたびにリセットされるみたいなんだ」
「リセット?」
「ああ。ここは教室だから、シャワーも何もないだろう。1人終わると、汗や精液で体はべとべとになちゃうんだけど、そいつが出て行くと、そいつが入ってくる前の状態に戻るんだ。まるで、風呂上りで髪を乾かした直後みたいな状態に。だから、シャワーいらず。タオルすら必要ない。シーツだって、ほら、この通り」
 確かに、ぼくが今座っているベッドは、100人以上もの男が使ったとは思えないほど、新品同然だった。
「だから、オレの体も、疲れない。まあ、この体は、見かけと違って、馬鹿みたいに体力あるから、そのせいかもしれないけど。大体、考えても見ろよ。いくらこの体の感度が抜群だと言っても、149人も相手にしたんじゃ、いい加減、いやになってくる筈だけど、最後までちゃんと気持ちよかったからな。現に、今だって、トモキと150回目をはじめたくてしょうがなくなってるんだ。もちろん、ここは夕暮れまでしか使えないけど、日暮れまで、まだ永遠に時間はあるから」
 そう言って、ユウはベッドの中からぼくに魅惑的な笑みを浮かべた。
 ぼくは、思わず、ユウの微笑に引き込まれそうになるが、何とか踏みとどまった。
「な、何言ってるんだ、ユウ。大体、オマエの言っていること、変だよ。この教室の中だけ時間が流れる速さが違うだって? そんな馬鹿なことがどうして起こるの? それに、シャワーも浴びなくて、どうして体がきれいになっているんだ? シーツだって、1度も替えていないのに新品同然なんて、絶対おかしいよ」
「仕方ないだろ、そういうものなんだから」
 ユウは、当たり前のことのようにそう言って見せた。
「そういうものなんだ。そういうルール。いや、ルールというより、掟といった方がいいかな。誰もそれを破ることはできない。大体、トモキも変だと思わなかったか? あのタクローが外の長い行列におとなしく並んでるんだぞ」
 確かにそうだ。先日、ここでタクローを見かけたときは、ヤツは1人だったけど、自分で「並んでいる」と言った。アイツの口から、そんな言葉が出るなんて、絶対に何かがおかしいと思った。
「この部屋に入って、オレとエッチするには、外で列に並ばなきゃいけない。そういうルール。こっちは、外に並んでいる以上は全員とエッチしないといけない。これも絶対の掟。絶対の掟が存在して、それを守るためには、世の理だって、捻じ曲げないといけない。時間が足りないのなら、時間の流れを遅くして、時間が作り出される。新しく入ってきたヤツの気持ちが萎えないように、シーツもオレの体もリセットされる」
「そんな……。そんなのって――」
 確かに、ユウが言うように、「このこと」には、それなりに理由があるのかもしれない。でも、それだとしたら……。
「仕方ないんだよ、そういうものなんだから」
 ユウは、こともなげにそう言った。
「仕方ないって――。じゃあ、そもそも、なんでユウは女の子になっているの?」
「え?」
「ぼくたちは、小さい頃から親友だったろ。もちろん、男同士の。それが、どうして、ユウが突然、女の子になっているの? どうしてそのことを誰も疑問に思わないの? だって、ウチの学校は男子校だよ。男子校の中に女の子がひとりだけいるなんて、変じゃない。女の子なのにユーイチなんて名前なのは不自然だろ。その女の子が放課後になると、教室でやってくる男子生徒と順番にエッチするなんて、ありえないだろ。どうして、誰も変だって思わないんだよ」
「だから、そういうものなんだって」
「わけわかんないよ。大体、ユウは自覚してる? 今のユウは、かわいくて、胸が大きい美少女で――」
「おっ、おれが美少女だって、認めてくれるのか?」
「茶化すな。今のユウは、オマエがやっていたエッチなゲームの『理想の彼女』そのものじゃないか。かわいくて、エッチが大好きで、男に取って都合のいい美少女だ」
「ああ、あのゲームか。あれは直接関係ないんだよ。お前が言うように、『理想の彼女』っていうイメージが頭に残っちゃったから、なんだか、あのゲームみたいな設定になっちゃったけど、まあ、これはこれで、いいかなと――」
「よくない!」
「そう怒るなよ。まいったなぁ。なんでトモキには効かないんだろ? 他の奴は誰一人として疑問に思っていないっていうのに。結局、またアレを使わないといけないのか。2回目だけど、うまくいくかな」
「何ごちゃごちゃ言っているんだよ」
「わかったから、取りあえず黙れ」
 目の前の美少女に、いつになく真剣な顔でぴしゃりと言われて、ぼくは反射的に口を閉じた。
「いいか、トモキ。これは『反転』なんだよ」
 『反転』――。
 ユウのかわいらしい口唇から発せられたその言葉は、ぼくの心の中に、ゆっくりと染み渡っていった。
 ああ、そうか。
 ぼくの心の中の疑問符が消えていく。これまで、何をそんなに悩んでいたのだろう?
 ぼくの目の前で、とびきりの美少女が笑っている。真っ白なシーツで体を隠そうとしているけど、彼女の胸は大きすぎて隠し切れない。
「どうする、トモキ?」
 美少女が言った。
「うん――」
 ぼくは、窓の外を見た。
「帰ろう」
「え?」
 美少女が少しがっかりしたような顔になった。
 ぼくは何か彼女を失望させることを言ったっけ?
「もう、日が暮れるよ。早く帰らないと、真っ暗になる」
「トモキ、何言ってるの? だって、日は――」
「ほらほら、急いで。ぼくが向こうを見ているうちに、さっさと服を着なよ」
「う、うん……」
 なぜだか妙にしょんぼりしている美少女をせきたてて、ぼくは、夕暮れ迫る教室を後にした。

テーマ : *自作小説*《SF,ファンタジー》 - ジャンル : 小説・文学

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